zi-zi の時代 ルアー・フライのカリスマと言えば

芦沢一洋氏、則弘祐氏、西山徹氏、浜野安宏氏 が

四天王だったように思う。前の三氏が故人となった今

浜野さんしか残って居ない。

 

フィッシング誌の名編集長・吉本万里さんに その才能を

見出され、フィッシング誌に育てられた名人たちだ。


四天王とは何回か御一緒させて頂いたが、その中でも

浜野氏とは第1回目のアラスカ14日間、則さんとは第2回目の

アラスカ・サーモンフィッシングに同行させて貰った。


浜野氏が 有名なのは釣りだけでなく

ライフスタイルや街創り、プロデューサーとしての手腕

などが素晴らしいことである。


彼の仕事は浜野総合研究所のHPで見て下さい。

意外と近い所で皆さんがお世話になって居ますよ。

http://www.teamhamano.com



zi-zi は浜野氏が出ていたテレビ番組「ヤング720」を

見ていた。多分この頃浜野氏は大学を出たばかりで

サイケデリックや、ジーンズなどを紹介していた頃だと思う。


釣りを通して世界を駆け巡って来た体験を基に

環境問題にも早くから着目し、自ら F・O・R

(フレンズ・オブ・リバー)を設立した。


その頃 zi-zi たちの釣りクラブも本栖湖の清掃や

清水港の清掃、名古屋支部では庄川の清掃を毎年行っていた。

名古屋支部の柴田兄弟を中心としたチームは

時の稲葉農林大臣より大臣表彰を頂いた。

だからすぐに東海支部を任された。

いくつになっても若々しく活躍をしている。

Team Hamano の代表であり、

浜野総合研究所の社長でもある。

まさにカリスマという言葉はこの人のためにある。


zi-ziの釣れ釣れパラダイス


上九一色村から河口湖町になった本栖湖をどうした良いか

町からの依頼で本栖湖の山梨県立青少年センターの施設を

浜野氏に声をかけられた各部門のエキスパートが見学した。


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施設は老朽化しほとんど 使われていない状態だった。



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建造物の山側に グラウンドがあるが

元は 沼地だったらしく 人が歩くと足が沈む感じがする。

砂などを入れてあるが、これでは運動も出来ないだろう。


グラウンドの奥には 立派な艇庫があり カヌーがいっぱいある。


すべて 本栖湖に以前あったモーターボートの練習学校の

日本船舶振興会から寄付されたものだった。


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艇庫の右側はすぐに本栖湖になる。

見学者の中には ドラゴンボールに出てくる

バッタみたいな名前のバッグを掛けてる人もいた。

(クリック)

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艇庫の裏側に回るとキャンプ場が在ったらしき場所がある。

ここもほとんど使われていない。


山側の通路に出ると日が当らない所は

まだ雪が融けずに残っていた。


雪が珍しい 清水の衆は 嬉しそう

hardyーTaki さんも 滑って 危ない

(やらせが 見え見えですよー)



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zi-zi もへっぴり腰で歩く

メレルカメレオンでも滑る


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うう~ん もう zi-zi ったら お茶目なんだからぁ~ドキドキ

zi-ziの釣れ釣れパラダイス


大きなホウバの葉が敷き詰められた 

自然の絨毯の上を歩く。


カサカサ サクサク 心地よい音が聞こえる。


まさに「森の生活」を体感することが出来る。


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施設に戻り ベッドルームを見る。


今時 こんな所に寝る人ってどんな人。



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浴室や、食堂、体育館も見て回った。

体育館や、食堂は 写真に撮ったが見せない方が・・



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浜野氏の施設見学の感想を聞き、お昼を食べに

湖岸の「つかさ」さんにお邪魔することにした。

昼食後がお楽しみの釣りタイムなのだ。


続く