マニラでの惨劇が起こった数時間後、香港政府組織とともに、記者たちもマニラへと向かっていました。二十三日の夜十一時頃、任務が届いて、二十四日の朝一時の飛行機でマニラへと向かうということでした。飛行機の中には、亡くした方の家族もいらっしゃいました。インタービューは禁止されているので、その背中へ捧ぐ支える視線しか、何もできてあげられなかった。

二十四日の朝四時、マニラにつき、死者の家族はまだ落ち着いてはいましたが、ホテルに到着あと、当地の数十名の記者に囲まれて、鋭く質問され、その方々もつい泣かれてたまりませんでした。その時、ある記者か、あるいは誰かの関係者が「そこまででいいだろう!」と叫んでいました。すると、その場は静かに戻り、小さいな泣く声しか何も聞こえなかった。

病院で怪我人の看病をした後、記者は現場へ向かい、取材を開始しました。そこは、警戒線は張り続き、ボロボロになった観光バスはそのままそこにおいて、地面には血痕が残っていました。目を閉じると、銃声がまだ響き、何時間前の起きことが目に浮かんできました。現場で、当地の市民が百名ぐらいいて、その顔で悲しみや嬉しさが見えないです。私はそこを去ろうとしたとき、突然、車が目の前にとまって、そこに、お父さん、お母さんと息子さんが歩いてきて、私の後ろで笑いながら撮影をしていました。

タクシーに乗って帰ろうとしていましたが、私もどんどん落ち付いてきました。が、降りた時は、四百円と表示されているから、私は金を渡しました。やがて、運転手が五百だって言って、ドアをノックしてしまいました。そこに、私は大人しく五百円を差し上げました。

この状態で、ホテルに戻り、同じく記者をやっている方にあって話してたら、その方が事件当日に、けがを負ってしまった香港テレビ局の方だったことと分かりました。かすり傷だから、病院もいかないで絆創膏を貼ってすんだそうです。香港に戻ったら病院に行くらしいですが、いつか戻られるかはまだわからないと、その方は言いました。それは、真実をみんなに届けたいという、ほんの小さいな願いだって、私はその言葉に感動されました。

その方の言葉に感動されつつ、私は無辜の香港観光客が哀れだと思って仕方ありません。この事件で、中国人は海外で安全が持たないということが、改めて私は認識されました。

(中新社記者 周志ビンより)