お久しぶりです。
せっかくブログを始めて皆さんが来てくれるようになったのに、長い間お休みしてしまいました💦

7日の日に旦那さんのお母さん、わたしにとってはお姑さんが亡くなりました。

ちょっとその話を。
6日の土曜日、弟嫁から連絡があり、いつものように治療の薬を投与したところ意識をなくし回復しないとの連絡が。
私はその時下娘の学校にいて、旦那さんはサッカーをしに行ってました。

とりあえず様子を見にいってくると、旦那さんは新幹線にのって、病院へ。
4時間ほどたって、病院にいくと意識も回復し、いますぐどうにかなるということはないということで、横浜に戻ってきました。

ただあまり状態はよくないからとのこと。
とりあえず私と下娘は日曜日にお見舞いにいくことに。旦那さんは仕事に行きました。
9時に横浜を出る新幹線で出かけたのですが、旦那さんから連絡が。

危篤らしい。。
と。

旦那さんの職場は東京なのでそこから新幹線に乗って向かうとのことでした。

気持ちは焦ってもつく時間は変わりません。
でもまだ新幹線の中ではそこまで危機感はなかったのです。

新幹線→地下鉄→バスとまだまだ道のりは遠く、とりあえず少しでも早く着くようにタクシーに乗り込みました。

病室につくと1ヶ月前にあったお母さんとは変わり果てた姿に。
どうして、急にこんなことに!

明らかにもう助からないというのはすぐわかりました。

看護士さんがしきりに息子さんは後どれくらいで着きますか?とききます。

後1時間はかかると思いますと伝えると、間に合わないかも、と。

無菌室で治療を受けていたお母さんは個室に移され弟のお家の子供たち3人と弟のお嫁さんと私と下娘。
ずっと声をかけていました。

まだ弟の子供は幼稚園の子が一番上。
意味もわからないのに1番小さい子供もおばあちゃん、おばあちゃんと声をかけます。

12時を過ぎた頃、息も浅く、脈も弱くなってきました。上娘に電話をかけお母さんの耳元に当てました。
おばあちゃん、おばあちゃん、頑張れ。何度もそう言ってました。

意識はなくても声は聞こえる。。。
本当にそうなんでしょう。
娘の声を聞くと脈拍も上がりました。
ゼロになった脈拍も戻ってきたりを繰り返しました。

旦那さんが到着。
何度も何度も声をかけました。
その声に反応するかのように、そして逆に安心したかのように、ゼロになった脈拍かそのままゼロになっていきました。

旦那さんの到着を待っていたのだと思います。私から見ても旦那さんはお母さんにとって大切な息子でしたから。。。

弟君は仕事で間に合わなかったけど、どちらかの息子が最後に見送ることができてよかったかなと思います。

余命長くても2年と言われてから1ヶ月しかたっていない、突然の別れでした。

そのあとはいろいろ大変でした。
高校の教師をしていたこともありとても大きな通夜告別式となりました。

そして一週間慌ただしく過ぎ、私は今完全に風邪をこじらせ、声が出ない状態なのでした。。。。