なんでかなー
昨日くらいから「看取り」とか「死に方」のことが
が頭に浮かぶ
Out put
もう10年前になるが
うちの家族は全員、母を看取ることができなかった
(ここでいう看取りは死に際に立ち会うことの意味)
ICUに入っていた母
昼間付き添った父から
“今日ICUから一般病棟へ移る”と聞いた私は、
“じゃあ明日でいいかな” とその日面会に行かなかった
移動した翌日の朝方母は急変
連絡を受けて駆け付けた時にはもう明らかに息は無く
家族の誰も間に合わなかった
「人は死に方を決めている」という話を聞いたことがある
例えば
「生きてるときも一人時間を好む人は死に際も一人を好む」とか
「家族が悲しむ姿を見たくないから皆がいないときに息を引き取る」と
いったような話
またそれがどんなに酷く悲惨にみえる状況下であったとしても
「そのことで個人や世間に対しての問いかけやメッセージを届けるという役割」
だとか…
母の本心はわからないけれど
この話を知ってたので
「あ~母は一人がよかったのかな」と思えて
後悔はしていない
家族がいてもいなくても、
その死に方とか死に際って
自分が決めてきてるんじゃないかと思う
職業的に亡くなる方見てきたが確かに様々だった
さっきまでご家族がいらしたのに…帰られた直後にスーッと亡くなる方
逆に
遠方からの家族が到着されるのを待ってたかのように
会ったとたん息を引き取る方等々
当時は家族がいることが前提
看護師としては
家族が患者さんの死に際に立ち会えるようにと
考えて動いてるつもりだったけど
今思うと
看護師のそんな思いに関係なく
(本人が意識してたかは別にして)
患者さん方は死に際を決めてたのかなと思ったりもする
だとしたら
“1人で死ぬのはかわいそう”とか
“寂しいのでは”と思うのは
看取る側とか世間の勝手な見方で
逝く人から学ばせてもらうことはあるし
残ったものが
“看取れなかった”とか“可哀そうだった”とか
悔いることは
亡くなった人も望んでないような気がする
わたしも(無意識領域で)
死に方とか死期とかって決めてると思うんだ~
だとしたら
ジタバタしても仕方ない
ちなみにわたしは
今の段階では、一人で静かに逝きたいと思っている
家族を見ながらの方がちょっと辛いな
家族が笑ってくれてればいいけど
それ出来なさそうだもの(笑)
時には
どんな世界を見ながら死にたいかを考えるのもよい