芭蕉が詣でた時には既に500年の歳月が…更に300数十年…。
勇義忠孝の士、和泉三郎忠衡(藤原忠衡)は奥州藤原氏藤原秀衡
(三代当主)の三男です。
住まいが泉屋の東にあったことから、和泉三郎の俗称を名乗っていました。
父の遺言である義経保護を強く主張し、泰衡(四代当主)と対立、
誅殺。享年23。
文治3年は、源義経が秀衡を頼って奥州へ落ち延びてきた年。
忠衡が泰衡に誅殺される2年前のことです。
別宮前…鹽竈桜
左手…唐門と廻廊
ブルーシートの前に「文化燈籠」があります
🟤文化燈籠(銅鉄合製燈籠)
文化6年伊達周宗公(九代藩主)が蝦夷地警護凱旋のち奉賽として寄進。高さ4.8m。精巧な花鳥, 動物が嵌め込まれている。
(塩竃市指定文化財)
門より随神門…
左に折れ…東神門に向かい歩きました
赤い葉…また写真を撮りました