「致道館」の「講堂」と「御入りの間」を記録しています。

扁額「敬天愛人」





江戸時代に このような詳細な世界地図があったんですか‼️…と衝撃でした。




朝暘学校
1000人超えの学舎とは‼️

朝暘は、朝暘第一小学校のように現在も使われています。

朝日岳…昇る朝日…。勉学の向上の象徴として名付けられたんですね。知らずにおりました。






以下、致道館の教育方針です。

学 風

 寛政異学の禁(1790) の後、諸藩が幕府の方針に従い朱子学を藩学とする中で、庄内藩は荻生徂徠の提唱する徂徠学を教学とし、廃校までこれを堅持しました。
  致道館教育の特色は「天性重視個性伸長」と「自学自習」、「会業の重視J にあります。生徒一人ひとりの生まれつきの個性に応じてその才能を伸ばすことを基本にしながら、知識を詰め込むことではなく、自ら考え学ぶ意識を高めることを重んじたのは、すべて徂徠学の思想に基づくものです。



下記サイトより転記させていただきました。
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「講堂」から「御入間」に入ります。
手前の部屋では、資料が展示されています。






奥から…御居間
               御次の間
               御三の間






御居間




御居間の掛軸





窓からタクトの駐車場が見えました。
御居間では、庄内論語の素読の音声がエンドレスで流れていました。

庄内論語は音読で読まれます。
各々が腑に落ちる形での解釈になります…。




展示室の資料です。






























各資料内のコラムだけ切り取りました。











「講堂」に戻りました。
開け放された板戸から門が見えました。



















「講堂」奥から入り口を撮りました。




※※※※※徂徠学を貫いた理由が書かれてありました。

※※※※※※※※※※

山形県遊佐町に「白井新田」があります。

白井新田の学田と堰
庄内藩の郡代であった白井矢太夫の藩校致道館の学田構想に基づき、1800年より開発された農地です。
鳥海山の冷たい湧水を温めるために水路を何度も迂回させたり、防風樹を植栽するなど数々の知恵がみられます。夜間に提灯を掲げ、高低差を測量しながら、工事を進めたと伝えられています。
藤井公民館(旧白井小学校)敷地には旧庄内藩、第17代当主、酒井忠明氏の作・揮毫による「鳥海の 山より高き 父母の恩 忘るへからず 開村二百年」の碑があります。




 下記サイトより転記いたしました。
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再掲

再掲



























































徳川家と家紋を交換したという記述があります。





















一巡しました。頭ぱんぱん。
後半は何も頭に入りませんでした。

帰ります…。




雀さんのさえずり。


雀さんが撮れてるのかな…。


屋根瓦ははっきり写りません…。


あきらめ…。



道々。
「聖廟」の前の…

椿の花




「御入りの間」の前の…


サクラソウと…

カリンの花




季節を慈しみ…

花を愛でながら…




門をくぐりました。





門の瓦。こちらで撮ることができました‼️









雀さんのさえずり。
時々ふわりと降りて跳び歩く愛らしい姿。


しばしベンチで飽かずに眺めておりました。
以前ひとときを一緒に暮らした思い出が重なります…。






隣のタクトの駐車場から「致道館」
垣根のドウダンツツジ。












半日かけて訪ねた「致道館」。
時折見に来ようと記録しました。

もしか…ここまでお付き合いくださった方がいらしたら、感謝でしかありません。


ありがとうございます。