ACIMレッスン25


わたしは、それが何のためにあるのか、わかっていません。




はい、わたしは全く分かっていません…。

今日は部屋で、車で、お風呂でなどいろんな場所でレッスンをしました。
淡く愛を感じたような…気のせいのような…もどかしい思いをしました。

昼下がりに、かなりご無沙汰している方からお電話をいただきました。
暮れにお父様を亡くされたことを伺いました…。
その方とはACの繋がりで、数回しかお目にかかったことがありません。
暑中見舞いと年賀状のやりとりだけなのですが、時々どうしていらっしゃるかなあと
心親しく思っておりました。
OAで知り合った方のお母様も昨年亡くなられたことなど話すと、そういうお年頃になったんだねと話されてらっしゃいました。
何かお役に立てることがあったら私を思い出してとお伝えしました…。


…ふと4番の電話について書いてあったことを思い出しました…。



テキストは第二章7 原因と結果と8 「最後の審判」の意味 を読みました。

ど真ん中のストレート。

あなたは私に、恐れから解放してほしいと求めることはできない。

あなたがもち続ける一切が愛に満ちたものであるとき、恐れがあなたのもとにとどまる理由は何もない。



よそ者、村八分、いじめ、パワハラ…私の半生。
今また職場での窮地。
明日を思い私は正直震えています…。

経済的事情とやっと得た仕事。

明日のレッスンをチラ見したら、救われるかもしれないと思いました。
(なんだかJに失礼なことを言っています…。)



想念の力を凄く感じるこの頃です。

全てをホーリースピリットに捧げます…。