最初からっ
イイね🤍コメントありがとうございます!
めちゃくちゃ励みになり力をもらえていますっ
今日明日の命の保証が出来ない...
そうなってようやく出来た事
私の限界を知った時
余命宣告時の私は
命を延ばすとか...
そんな人間には
どうにも出来ないところは
手放して...
委ねた
けど...
私の場合これを
出来るまでが
めっちゃ難しくって
もう文字通り
寝たきりになって
今日明日の命の補償もできない
そんな状態にまでなって
ようやく出来たと言う感じ
でも!だからって
何もかも
委ねたんじゃなくって
私ができることは
私が頑張る!
例えば...希望を
見続けることだったり
最後まで
信じ抜くことだったり✨
あの頃の私は
もう腕一本動かすのも
精一杯だったから
実際その時の私に
出来たことは
体的なものは
ほとんどなくって...
むしろそれまで
無理やりでも
泣き叫びながら歩こうとしたり
してきたから
何もしないこと
が 当時の私にできる
体的なことだったんかも
だから...あの時の
もう誰がみても
諦められるような状態を
乗り越えられたのは
やっぱり心の部分の
おかげが大きくて...
ただ...出来ないことは
手放して
その時の私に出来た
希望を持ち続けること
それを諦めなかったから
私は弱くもあり
強くもなれたのかなぁ...
って今当時を振り返って思います
いや〜しかし...
この話の説明難しく...
結局それってどういうことなん
って感じだと思うので...
聖書のいう
私が弱い時に主が強い
その意味を最後にシェアしたいと
思いますっ
聖書の言う…弱い時に強い話