私は乳がん告知されて
約9年目になりますが……
この闘病生活、9年の大半は
いつも自分より健康な人を
羨んでいたように思います



それは、もう日常的なことで
とにかく事あるごとにだし
例えば、健康な人が悩んでる姿を見ては
"この人は癌じゃないからいいな。
悩んで辛いだろうけど
私みたいに命に関わる悩みは
ないんだろうな。。羨ましい''
みたいに、、ふと気づいたら
どこかで、そんな事を考えてる
自分がいつもいたように思います



そして、今の私は
いつも健康な人を羨んでいた
あの頃の私より
歩くこともできないし
健康か病人かで言ったら
かなり病人具合は進んでるんだけど
……笑
なぜか、もう健康な人をみて
そんなふうに
羨んだり思わなくなりました

今の私は
健康な人が悩んでるのをみて
前のように
"でも、この人の悩みは
命に関わらないから……"
みたいに、自分の物差しで
勝手に測ることはなくなりました。
今は、"きっと、私には分からない
辛さがあるんだろう。
実質的には命に関わらなくても
この人の命を脅かす程の
辛さかもしれない。。"
というふうに
相手の辛さを勝手に計らずに
その人の言葉をただ受け止め
信じるようになりました
要は、その人が
"辛い"と言ってるんだから
紛れもなく"辛い"んだろう。
そう思います

なんで、そんなふうに
考えるようになったか??
と、自分を思い返してみて
……



実際、身に染みるような
痛みを知ったからかな??
と、思い返してみても……
いや、痛くて歩けなく
なっていったときの私は
ただ、街ゆく歩く人を見ては
羨んで泣いていたし。。
苦しくて、息絶えだえで
首ももう回らなくて
自由に家の中を動き回る家族を
横目でみては
羨ましい。と嘆いていて。。
じゃあ、何がきっかけだった?!
と、考えてみたら……
"これが私だ"
と認めた時からかも!✨
と、思います

その時の私は……
胸は、腫瘍が飛び出てて
とてもじゃないけど
見た目に綺麗とは言えない。
骨が全身痛くて
真っ直ぐも立てなくて……
以前は、姿勢が良いね!と
褒められていた私の姿は見る影もなくなって
まるで亀のように首が前に
飛び出していて……
しんどくて、もう着飾る気力も
なくなって……
ホルモン治療の副作用で
ツルツルだったはずの体が
フサフサ、毛が生えてきて……
正直、以前の私の見た目と比べて
綺麗とは言えないかもしれない
……
でも、これが私!
✨

それでも、私はこんなに
頑張って生きている!!
そんな自分が誇らしい✨
そんなふうに気づいて
少しずつ、こうして今を頑張って生きている
自分を認めるようになっていって
……
そしたら、気づいた頃には
誰かを以前のように羨むことも
なくなっていました

誰かを羨むって
"自分を否定することだ"って
言うけど……
確かにそうなんだと思う

それと、同時に
その羨んだ相手は、もしかしたら
私以上に困難や苦しみを
抱えながらも笑顔でいる人かもしれないのに
勝手に、自分の物差しで
"この人は、私より幸せで羨ましい"
って決めつけるのって
なんか違う気がする……



上を見たらキリないように
下を見てもキリなくて
(そもそも、上とか下とかの言い方にも
違和感ありますが……
💦)

今の私が、誰かを羨もうと
考えたら……
(例えであって、今は日頃こんなこと↓考えてないです。笑)
歩ける人全て羨ましいです。笑
でも、そんなふうに
歩ける人を羨ましい!と羨む私を
"痛みなく過ごせて羨ましい!"
と、羨む人もいるかもしれなくて……
そして、痛みなくて羨ましいと
私を羨む人を
"意識があって羨ましい!"
と、寝たきりになった我が子を見て
羨む家族がいるかもしれない……。
これって、もうまるで
負のループみたいで!



どうせだったら
"あの人羨ましい"
じゃなくて……
"あの人、素敵な人だな!
私もあんな人になりたい✨
なろう!!"
って、自分を磨くのもいいし
……そもそも
磨く前に、もう既に誰しもにある
自分の素晴らしさを
知れたらもっといい!

って私は思います

私は素晴らしい✨
あなたも素晴らしい✨
そんなふうに
自分を認めて、相手も認めて
誰かを羨むんじゃなくて
互いに助け合っていく
私にあって相手にないものは
惜しみなく与えたらいいし
私になくて相手にあるものがあるなら
感謝して
分け与えてもらえばいい
今、こうして歩けない私を
たくさんの歩ける人達が
助けてくれているみたいに
✨

そんな人達をただ
羨むんじゃなくて……
ただ感謝すればいい✨
そして、その人に無いものが
私にあるなら
それを喜んで差し出せる

……私は、そんな人で
在りたいです
✨

