何度か、このブログで
お話しした事があるのですが……



私が3歳の時に両親は離婚して
それが原因で3歳の私には
寂しくて、どこかに母に怒りがあった



……というのを31歳くらいで
ようやく気がついたのですが
うーんうーんうーん



実はそんな、寂しい。とか
離婚して欲しくなかった。
とか……



31歳になって、その感情に
気がつくまでは
全く、そんなこと思ってない。
と思ってましたにやりにやり



というのも、私が6歳手前で
母は再婚してるのですが……
(その事についてはコチラの記事に書いています↓↓↓)

私が小学生くらいの時は
まだ、「離婚」というのが
珍しかったようで……



同級生の友達とかに
私の父親が本当の父親じゃないと
言うと、よく"あ、ごめん。。"
と、気まずそうに謝られました



私は、その度に
"別に謝る必要ないよ"
と、笑っていましたが
内心、なぜ悪いことした訳じゃないのに
謝られるのか分からなかったし



何より、そんなふうに
可哀想みたいに同情の目で
見られることが1番嫌でした



だからか私は気づけば
極端な程、母の離婚を
肯定するようになっていました



共働きで鍵っ子だった私は
学校から帰ると姉と2人で。
たまに祖母が家に来てくれていて……



今思うと、その頃の私はしさが
あったのかもしれませんが



その時の私は
それを"自由"と捉えました。



寂しくなんかない。
むしろ親が家に居ないから
自由だ!その方が良い!ゲラゲラ
と、本気で思っていました



そして、育ての父親には
いつもどこか気を使っていて。



私や姉より、母が1番で
父親として褒めるより怒ることの多い
育ての父親が
いつもでしょうがなかったです



もちろん、育ててくれる事に
感謝しないとと思っていたので
幼心に気を使い……



だから尚更そんな育ての父親がいる
家は居心地が悪くて。



いつからか私は
育ての父親が帰宅すると、自分の部屋に
閉じこもるようになりました



そして、私が17歳の時に
母と育ての父の家庭内別居
始まりました。



その時も離婚したい母と
それを阻止したい育ての父親の
2人の間に挟まれて
どちらにもを使わないといけなくて
しんどくてたまらなかったです



結局半年くらいして
別居が決まり、母と姉と私は
小さなアパートで一旦暮らす事に
なるのですが……



いきなり一軒家から
小さなアパートに移ることになり
友達を部屋に呼ぶとうるさいと
怒られたり、、



もう何か……
何もかもがしんどくなって
17歳の時に私は家を出て
その頃、兄弟で暮らしていた心友の
家に居候する事になりました



ちゃんと一応、行先や連絡は
母ととっていたので家出では
ないですzzz



そしてその後、私が22歳くらいの時に
母と育ての父親との
離婚が成立して……戸籍上
育ての父親の養子になっていた
私の苗字は母の旧姓になりました。



結果、私は産まれてから
苗字が3回変わっていて。



その事も、何で私は関係ないのに。
って腹が立ったのを覚えています



それでも、私は母の離婚を
肯定していました。



母の離婚は間違っていない。
母が実の父と離婚したから
私は煩わしい父親が居なくてかった。



母が育ての父親と離婚したから
母の笑顔が増えてかった。



多分私もいつか結婚したら
離婚するだろう。
だから、その時子供が居たら
せめてパートくらい出来るように
高校は卒業しとかないと。



そんな事を本気で思っていました。



母を責めるのは簡単だけど
責めた事で何か変わる訳じゃないから
それなら、全部プラスにとろう。



そんな一見ポジティブにさえ
見える私の考えは
今思うと、ただ自分の気持ちを
無視していたように見えます。



私は、私の寂しいとか怒りの感情に
向き合う事から逃げていて
け入れることが出来なかった……



何よりその感情を出すと
を悲しませそうで恐かったし
私も知りたくなかったんだと思います。



でも、その無視された私の感情は
ずっと心の奥底にあって、気づけば
"母に優しくできない"
そんな態度に出るようになって……



優しくしたいのに出来ない。
それが辛くてしんどくてどうにかしたくて
31歳の時に自分と
とことん向き合って、その感情に気づき
解放して思いっきり泣いて
……



その感情をめてけ入れてあげて。



ようやく、母に優しい態度や
自然に接する事が出来るように
なりましたぼけーぼけー

(この、母への怒りなどの負の感情は、3歳や高校生の
幼少期の私の感情なので認めて受け止めたら
無くなり、ただスッキリできました!残った私の感情には
母への、感謝と尊敬と愛がありましたほっこり)




それまでの私はいつもどこか
"生きにくい"
と感じていたのですが……



その時くらいから
そう思うことは、ほとんど
無くなりましたほっこり



この、今思うとポジティブの勘違い。笑
悪い出来事を良い出来事に思おう。



それは、ポジティブでも何でもなくて
ただ、私からげていただけでした



これは、病気になった時にも
一瞬思った
"ガンになって良かった"
という思いも似ていて。



辛いことや嫌なことも全て
良いことにしてしまおう!



その考えは悪くは無いけど……
それよりも
ちゃんと良くなかったところは
良くない。ってめて



泣きたいときは、とことん泣いて。



でも、そんな悪いところも
悲しみもめて、け止めて
その悪いところも良い部分に
私はえることができる!



悪いこと=良いことと考える。
じゃなくて……
悪いこと=良いことにえる事ができる。



状況は変えられない。
例えば、ガンになった私の状況は
変わらないのに
まるで、良い事が起こった!
みたいにガンを肯定するんじゃなくて
……



私のは変えられる。
ガンになった状況は良くないけど
それをきっかけに
私は自分と向き合い、心を
変えることができた。
生き方を変えることができた!




こんな風に、自分の状況や感情を
しっかり認めて、受け止めてから
に進むウシシウシシ



これが、今の私には心地よくて
……なにより
生きやすい!!!ゲラゲラゲラゲラ



そんなふうに、今の私は思います
ほっこりほっこりほっこり



そして、今の私は結婚したら
離婚するだろう。とも
離婚は絶対しない!とも
どちらも考えていないですほっこり



離婚するだろう。もだけど
離婚は絶対しない!って思う
=母の離婚を許せてない



って事だと思いますうーんうーん
そんな心のトガは手放してしまって
ただ、自分の大切な人を大切にしていきたい。
と、今は思っています



だから、私は病気になったけど。
それは悲しくて出来るなら
なりたくなんか無かったけど……



そんな困難さえも利用して
状況は変わらなくても
私は私のを変えることができた!!



だから私は今が1番、せだし
毎日が感謝!!
そう、心から思いますウシシウシシ

(↑姉の結婚式にて。この時は腫瘍も飛び出て出血しだして
いたので頻繁に、ガーゼした腫瘍を気にしていましたうーん)

▶︎▷今の私の状態はコチラの記事

↓↓↓


 "私たちの負い目をお赦しください。
 私たちも、私たちに負い目のある人たちを
赦します。

 私たちを試みにあわせないで、
 悪からお救いください。』

もし人の過ちを赦すなら、
あなたがたの天の父もあなたがたを
赦してくださいます。

しかし、人を赦さないなら、
あなたがたの父もあなたがたの過ちを
お赦しになりません。"

マタイの福音書 6:12-15


mimipopo