以前、内科医の先生だけど
東洋医学だったり
心の部分まで診る先生が居て
その先生に言われた言葉を
思い出しました

その先生は
"振り子の法則"
(簡単に説明すると、良いことの後には悪いことがあり、
悪いことの後には良いことがあるということです。
真ん中に支点がある振り子は片側に振れたら
ほぼ同じ振れ幅で逆側に振れます。)
を使って話されたのですが
その時の私は
普通に生活出来ていたけど
常に胸には、しこりがあり
いつも"私はガンだ"と
頭にはあり、それを
何とかしようと必死でした

その私を見て
"ガンを気にしないでおこうって
必死に考えてるでしょう?"
と、先生

"はい、その通り。"
と、見透かされ納得のわたし
笑

"その状態は、振り子と一緒で
「気にしない、気にしない」
と、思えば思うほど
「気になる、気になる」
というエネルギーが蓄積されていて
結局は、そのパワーが
身体にたまってしまって
表面では気にしてないと思ってても
実は身体の底では
気にしていて
その反対のパワーが働いて
しんどくなってない?
身体がストレスに感じるよ"
と言われ……
確かに。。
と、ただただ納得と同時に
"じゃあ、どうすりゃいーの?!"



気にしたくないと思えば
結局、身体の底には
気にしてるパワーが働くし
……
だからって
"ガンを気にして生きる"
これもしんどいから嫌なのに!



と、何とも言えない
フラストレーションがたまって
頭では理解できるけど
すんなり、解決法もなく
ただ、確かにな〜と納得しながら
帰ったのを覚えてます
笑

……その事を、今思い出して
表裏一体
と言う言葉を思い出しました
これも、振り子の法則と似てて
"喜びの反対は悲しみ"
というように
必ず物事には
良い面と悪い面がある
そんな感じだったと思うのですが

以前の私が
"ガンを気にしたくなかった"
のは……
一生懸命、前向きに行きたいのに
後ろ向いてしまうのが
恐かったんだと思います
だから、無理矢理でも
必死に自分にいつも言い聞かせて
恐さから目を背けたかった
要は、恐怖に支配されるのが
嫌だったし、恐かった
じゃあ、ここからどうやって
抜け出したのか?
そう考えた時に
恐怖の意味を調べたら
"自分の力を超えたものに対して
怯えること"
と出てきました

これを見て
"あ〜確かに、あの時の私は
ガンをそんな風に感じてたし
自分の力を超えてると思ってるのに
何とか闘おうと必死だった
だから、結局その必死で
前を向いてる状態は
実は、恐怖と表裏一体で
……
だから、いつも前を向いてるのに
同時に恐怖からも逃れられなくて
いつも怯えていたなぁ
"

と、思います

今の私は、そんなしんどさは
無くて……

多分それは
骨転移もして、動けなくなって
ようやく
もう、私の力ではどうにもできない
と認めたんだと思います
そしたら、不思議と
恐怖からも解放された!
ようやく、心から思えました



でも!諦めた。
とは違います!
ただ、まず受け入れた。
自分の力の限界を認めた。
ガンと闘うんじゃなくて
私にはどうしようもないから
私じゃなくて、同じように
自分の力を超えたものに
頑張って闘ってもらう!

これは、私にとっては神様だけど
(全き愛は恐れを締め出す。という聖句があります。
大きな無限の愛に包まれた時
人は恐れから解放されるみたいです
)

特に信仰心とか、ない人は
無限の可能性を秘めてる
自分の身体の細胞に頑張ってもらう!
とかでも良いと思います

とにかく私は、頑張らない。
でも、諦めはしない!
あと、振り子の法則で興味深いのは
例えば、絶望を見た人には
その反対の希望がある
そして、その振り幅も関係して
振り幅が大きい程
逆の振り幅も大きい。
要は、絶望が大きければ大きい程
その後の希望も大きくなる

そして、私はよく
表裏一体の考えを
思い起こす事が多いのですが

自分が、もうしんどくて
絶望しか見えない時
でも、この時は実は
この絶望の裏には必ず反対の
"希望"があって
……
ただ、その希望を見れてないだけで
必ずあるもの。
だから、自分が見る方向さえ
変えれれば
絶望の裏の希望を見ることが
必ずできる!

"そもそも、絶望が無いと
希望は、生まれない"
その希望は、人それぞれだと
思うけど……
私にとっての絶望は
乳がんになったこと。
でも、その裏にあった希望は
この病を通しての
気づきであったり
人に優しくなれたことであったり
……
何より、この経験は
必ず私の武器になる!!



私が絶望を経験したからこそ
誰かに希望をあたえることが
できるかもしれない!
そして……それが
反対に私の希望になる!



自分の最大の弱みは
私の最大の武器にもできる!
これも表裏一体だから!
私はそう思いますっ
