病気て
病気になった本人だけじゃなくて
家族や周りの人にも
大きく影響される事が
多いな~と思う

そしてコメントで
"どうしてもらったら1番嬉しいですか?"
と、ご質問いただき
改めて考えてみました

なので今回は
私が乳がんになってから
周りの人に
"こうしてもらって
嬉しかった事"
をまとめてみようと思います



正直、私からしたら
"こうしてもらって嬉しかった"
とか言うこと自体
おこがましく思うのですが
……

でもよく周りの人には
聞かれる事なので
考えてみました

私が病気になって
しんどいことを経験する度に
感じたのは……
"人間、なってみないと
そのしんどさは
本人にしか絶対分からない"
ということ。
これは
"だから他人に私の苦しさ分かるはずない!"
って責める話じゃなくて
それが普通で当たり前てこと。
よく、私の周りの優しい友人は
"ミミポポの辛さを分かってあげられなくて
ごめんね、何も力になれなくてごめんね。"
と自分を責めてしまったり
一生懸命考えてみるけど
結局分からない
と、悩んでくれてたりするのですが
……
"そりゃ分からないよ!

私も自分がこうなったから
病気の辛さを知っただけで
絶対自分がならないと分からなかった!"
って思います
それだけ
私が健康な時に思っていた以上に
実際は
辛いし苦しかった。
この苦しさは
ならないと分からないと思う

だからって
病気じゃない人に
"何で私の苦しさ
分からないの?!"
ていうのは
自分のエゴでしかないと思う
……
って頭で分かっていても
それを求めたくなるのですが

一時期の私は周りを羨んだり
"どうせ私の苦しさは
誰にも
理解してもらえない!
"

って
嘆いた事もあったけど
……
乳がんが骨転移して
歩けなくなった時
"足腰が痛い"と嘆いていた
祖母の辛さを
初めて知りました
それまでの私は
"足腰の痛みなんて癌と違って
命に関わらないやん
私に比べたら可愛いものでしょう
"

ってどこかで思っていた
けど、実際歩けないぐらいの
足腰の痛みを経験して
"1分1秒も楽な時が無い辛さ"
というのを目の当たりにしました
その時に改めて
"病気の辛さは
本人にしか分からない"
と思いました
だから、今の私は
"私の苦しさ分かって!"
とは思わない
けど
"その苦しさを理解しようと
してくれること"
その気持ちが嬉しいです

私と同じように
苦しむ必要は無いけど
理解
しようと歩みよってくれること
実体験だと
足が痛くてしんどくて
どうしようもない時
……
ただ、足をさすってくれるだけで
本当に嬉しかった
よくミミポポが頑張ってるのに
泣き顔なんて見せれない
って言われがちだけど
……
私を見て泣きたい気持ちになったのなら
素直に泣いてほしい
私が泣けない分
泣いてくれたと思えるから
だから
"どうしてもらったら嬉しい?"
と聞かれたら
その気持ちをそのまま飾らずに
伝えてくれたら
それが1番嬉しいです
ただ辛さや苦しさを
聞いてくれるだけでも
嬉しい
そして
その時の状況によって
実際してもらって嬉しい事
は変わります
例えば私なら
乳がんだけど元気に動けてる時は
食事療法している私の食事を
嫌がらずに一緒に
"これもいいね!
"

って共有してもらった時
嬉しかったし
動けなくなって
もうしんどくて何もできない時は
ただ側にいて
身体をさすってくれるのが
嬉しかった
だから、1番は
素直な助けになりたいという
気持ちを伝えてもらって
"何をしてほしい?"
と聞いてもらえたり
"これしようか?これはどう?
私に出来ること教えてほしい"
と聞いてもらえたら
"これをして欲しい"
と言いやすいかな~
と思います

後は
"1人じゃないよ!
一緒に頑張ろう!
"

て言ってもらった時
本当に嬉しくて涙が出ました

そして、諦めずに
"必ず病気は無くなる!"と信じてる
私を信じてくれてること。
それも私の心が折れそうな時
逆に励まされました

なにより
そんな風に、どうしてほしい?
と考えて聞いてくれる人が
周りにいること、それが何よりで
本当に感謝で幸せ者だな~
と思います



まぁ、私自身も
病気の人の側にいる人の気持ちは
分からない

だから結局はお互い様!
そんなどうしようもない事
嘆くより
"互いを思い合えてること"
に私は喜び合いたいし
感謝したいっ
笑笑
て思います



こんな私を支えてくれてる
My family



いつもありがとう!!
