もともと病気を知る前の私は
アパレルで販売員
17歳から病気を知った26歳まで
ずーーーっと
本当に仕事人間でした

うーんうーんうーん

どれくらいって
仕事第1で
"親の死に目にも
会えない覚悟で居ろ"
って上司に言われて
それを覚悟として
受け止めてるくらいでした



そして体調悪くても、熱があっても
休まない。てか休めない。
なんでって……
"まだ倒れてはいないから"
そんな事本気で思ってました



今、思えば本当にありえないのですが
アセアセアセアセアセアセ






どこかで聞いた話

"癌になった人はガンばりすぎた人"

これを聞いた時
凄く納得しました

以前の私は全然自分に優しくなくて
"もっともっと!"
って常に自分に厳しく
いつも自分に満足してなかった

真顔真顔真顔

そして
病気を知った時に
アパレルは辞めて
その時既に勉強中だった

色彩検定1級
パーソナルカラーリストの資格
色彩心理の資格
ヘアーメイクの資格
を取って

自宅でレッスンをしたり
講師として教えに行ったり
……
身体は動くけど、
無理はできないから
そんな風に働いてました

ニコニコニコ

そしてその後
つい数年前には
ネイリスト2級の資格をとって
次は1級取るぞ~おーっ!
頑張ってる時に
腫瘍からの出血痛みが激しくなって
……
やむを得ず断念しました






……今思えば
まだ病気なっても
ガンばってたな~
‪笑笑
ねーねーねー





この頃のわたし



若い……笑
既に腫瘍は外に出て
出血しだした頃かな
うーんうーんうーん





やたらスタバってますが……笑
こんな風に友達とお茶してながら
この時くらいから
いつもいきなり出血するから
常にガーゼ大量に持ち歩いて
常に腫瘍を気にしてました


グローバルなMy familyもぐもぐ


この時も
外ではいつ出血するか分からないから
いつも出血しないのを祈って
歩き回ってました
アセアセアセアセアセアセ



この時は
既に、出血したら
蛇口を捻ったような勢いで
横に血しぶきが飛ぶくらい
大量出血してました



それでも去年の2018年の12月
歩けなくなる半年前までは
大量出血いつするか分からない状態で
韓国旅行とか


(↑↑↑この時も空港着くなり大量出血で立てなくなるくらいでしたアセアセ)


カフェでアルバイトとか
ギリギリまでしてました

アセアセアセアセアセアセ



もうトップスは
ダボっとした服じゃないと
腫瘍の出っ張りを
隠しきれない時

歩くのもままならなくなってた頃
うーんうーんうーん






こんな感じで
この後も
骨にヒビ入っても
知らないのもあったけど
泣き叫びながら
えーん
無理矢理ギリギリまで
動いてました
ショックショックショック






そして
もう車椅子で移動しないと
ダメになって
座るのも寝るのも
痛みで動けなくなって
……
ようやく

去年の9月末にCTを撮り

今の現状を理解して
やっとこさ
動くことをやめました

てか

やめざるおえなくなったのですが

ねーねーねー


こんな風に、はたから見たら
元気な人
って見えてたと思います





実際自分自身も
病気だけど病人って自覚は
なかったです
ねーねーねー





今でも歩けるようになったら
癌があっても
動けるなら
そこら辺飛び出すと
思います
笑笑





簡単にまとめたけど
私ってこんな人間
にやりにやりにやり



"友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。"

箴言 17章17節







mimipopo