「ラッキーマン」という本を読んだ。
夫が図書館から借りてきたもので、昨日仕事を休んでいるときに読んだ。
字が細かいのと、名前がカタカナで「あれっこれだれだっけ」とすぐ忘れてしまうなどの事情で、しっかり読んだわけではない。
ところどころ飛ばしながら読んだ。
内容はもう知っておられる方も多いと思う。
私は全然知らなかったけれど。
「パーキンソン病」にかかった映画俳優のマイケルJフォックスが、自分の闘病の様子を書いた作品だ。
私は「パーキンソン病」も、名前しか知らなかった。
彼は、「病気になったからこそ自分は変われた。これまで気づかなかったことに気づくことができた。」そして「この病気にならなければ、ぼくはこれほど深くて豊かな気持ちになれなかったはずだ。だから、ぼくは自分をラッキーマンだと思うのだ」と書いている。
残念ながら、私は「だから私はラッキー」とは思えないけれど、彼が感じていることの一部は理解できる。
少なくとも、「気づかなかったことに気づくことができた」と思う。いい意味で。
例えば、家族が私をすごく大事に思ってくれていることに気づいた。
また、世の中には、外からは見えなくても、苦しんでいる人がたくさんいるということに思い至った。
この本の、最初の部分は、自分の症状に気づいて呆然とし、焦りのた打ち回るさまが描かれているのだけれども、そこのところも共感できる部分がたくさんある。
私も最初に症状が現れてから入院して落ち着くまでの間そうだった。
つまり、これは「脳梗塞なんかではなく、何かほかのことが原因だ」と考えようと努め、あれこれいろんな原因を探したりしていた自分の姿とぴったり重なった。
もちろん私は彼よりずっと諦めが早かった。
彼は医者の宣告にも従わず、
きちんとした治療も受けず、
それ以降もんもんと何年間も過ごすわけだ。
この本の中で、一番心に響いたのは次の一節だ。
かれが毎日ささげるお祈りの言葉である。
神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、
自分に変えられることは変える勇気と、
そしてその違いがわかるだけの知恵をお与えください。
進行していく病気であるパーキンソン病の症状と、そうでない脳梗塞の後遺症とを同じように語ることはできないけれども、長いたたかい・・というか共存・・・になるのは同じだし、薬のお世話になり続けることも似ている。
脳梗塞は進行性ではないけれど、再発という恐ろしい落とし穴をもっている。
正直、私はそれを恐ろしく思っている。
だからこそ、さっきの祈りの言葉が、心に響くのだろうと思う。
このごろ家族はそれぞれ忙しく、一人で過ごすことも多い。
それは、私の容体が安定してきたからで、みんなが安心してきて、それぞれの活動ができるようになってきたからである。
でも、正直、一人でいるのは怖い。
今にも、「あの瞬間」がまた訪れるような気がするのだ。
再発した時、だれもそばにいなかったら、いったいどうなるだろう。
前回のようにたまたま友人が近くにいてくれて、
私も、「救急車を呼んで」と言える程度の症状だったから、今これを書いている自分がいる。
次はそんなに軽くはきっと済まないだろう。
そのあとの自分は、どうなってしまうのだろう。
読んだ後、パーキンソン病について調べたり、もう一度脳梗塞について調べたりしながら、その後もあれこれ考えた。
でも、あんまりしつこく考えないほうが、精神衛生上はよさそうだね。
興味をもたれたら、一度読んでみてくださいね。