もう15年以上も前からぼちぼち走っていたランニング。
決して速くはないけれど、それなりに楽しんでいました。
脳梗塞になる直前の12月にも、フルマラソンを走っていました。
けれども1月の初めにこの病気になってしまって、はたして再び走ることができるのだろうかという不安がありました。
別に走れないからと言って、特に問題があるわけではないのです。
しかも、たいして速かったわけではないし、ごくまれにたまたま参加者に恵まれて??入賞したこともあったけれど、入賞が目標でもなんでもないのですから、
走れなかったとしても、なにも不自由はありません。
運動麻痺は一応ないので、日常生活に不便はないのですから。
でもねえ、やっぱりさみしいじゃないですか。
これまでできていたことができなくなるなんて。
幸いお医者さんからは「走っていいですよ。むしろ、運動はお勧めします」
と言われています。
そこで、またぼちぼち走り始めました。
4月から6年生担任と決まってからは、とにかく子どもたちと一緒に走りたかったので、それこそトボトボと歩くような足取りでしたが、毎日練習しました。
京都では、「小学生大文字駅伝大会」というのがあって、6年生の担任になると、
それにむけての指導をすることになるのです。
といっても、専門家でもなし、せいぜい一緒に走るのが関の山です。
ところが、この「担任が一緒に走る」というのが、子どもにとっては大きいのです。
毎朝2キロずつ走っているのですが 運動場をぐるぐる回っています。
そうすると、なんども担任にぬかされたり、もしくは担任を抜いたりするわけです。
なるべく一定のペースで走ってやることによって、子どもたちはそれを目標に走るようになります。遅くてもいいのです。
どこで、担任を抜かしたかとか、何回ぬいたかとかを目標にすればいいからです。
さて、5年生の12月から練習を始めたので、当時しばらくは一緒に走っていたのです。私が病気で倒れて休んだのが1月からですので、たったひと月でしたが。
私が休んでいる間も、もちろん子どもたちは走り続けていました。
4月に復帰して、ドキドキしながら一緒に走ってみました。
最初は「初めはゆっくり走ろう。体慣らしをしないと・・」とおもってほぼ最後尾で走ったのです。
けれどもすこしずつ慣れてきたので、頑張って走ろうかなと思い、スピードをあげてみました・・・・・。
5年のころですと、まあ、それほど速くはないにしても、少なくとも半分の子どもたちよりは余裕で速かったのです。
ところが、自分なりにがんばってみて、愕然としました。
クラス28人中、なんと22位だったのです。
しばらく練習をしているうちに、子どもたちから、「まあ、先生には抜かされへんとおもうけど・・」などという、生意気な声が聞こえるようになってきました。
まあ、私は病気をしていたのですから仕方ありません・・・。
タイムが以前より、よっぽど遅いのだと思ってタイムをチェックしたのですが
驚きました。
私は前と同じくらいの速さで走っていたのです。
子どもってすごいですね。すごいスピードで進歩しているのです。
それから、わたしもちょっと悔しくなってきました。
病気をしたら、もう以前程度に走れれば満足しないといけないのでしょうか。
もう、進歩することはできないのでしょうか。
年齢的にも、もちろん体力が落ちる一方なのはわかっています。
でも悔しいじゃないですか。
というわけで、今頑張って走っています。
毎朝頑張るのはしんどいけれど、子どもたちだって頑張っているのです。
調子が悪くて足が動かない日もあります。
でもたとえ、タイムは落ちても、「頑張った」と子どもたちに言える自分でいたいと思います。
今14位まで上がってきました。
私が頑張っているのを見て焦った子どもたちが、私に追いつかれまいと頑張り始めているので、なかなかこれ以上順位があがりません。
手ごわいです。
今日は、順位はやはり14位でしたが、タイムは自己ベストを記録しました。
そしたら、最後の100メートルで私を抜き去って行った女の子が、
「自己ベストやった」と満足そうに言いました。
くやしけど、うれしいですね。
明日も頑張るぞ。