

ベッドは日本のベッドのように起こすことができますが、手動式でした。レバーをぐるぐる回すと起きるようになっています。また、寝るときは手すりをつけて寝ました。これまたつけたり外したりがちょっと面倒でした。最初は全部夫にやってもらいましたが、退院間近のころは、さすがに自分でできるようになっていました。
リハビリのために出かける以外はずっと部屋にいましたので、せっせとくすだまづくりをしたり、編み物をしたり、ビーズのブレスレッドをつくったりしていました。最後には、とうとう人形作りをしました。どれもこれも、子どものころに楽しんだものばかりでした。折り紙以外は・・・です。子どものころは、折り紙がもったいなくて、切ることができませんでしたので、作れる作品は限られていました。何度も同じ折り紙で作り直しをしたものです。


こういうことをするのが、もともと好きだったものですから、「リハビリ」の名のもとに1日中これに没頭していられるというのは、ある意味幸せでした。普段の生活では、もうほとんど忘れかけていたことでした。でも、小学校から高校までくらいの時期は、こういうことがとても好きで、しょっちゅうちょこちょこ作っていました。いつからやらなくなったんだろう。結婚してからは人形を作った記憶がなかったので、ちょっと愕然としました。ビーズは細かすぎてしんどくなり、折り紙はもう病院の近所のものはすべて買いつくして手に入らなくなり、それなら・・ということで、人形作りに挑戦しました。楽しかった。ほかに何もしなくてよくて、作ったらみんなに褒めてもらえて、あげたら喜んでもらえるなんて、こんなうれしいことがほかにあるでしょうか。しかも、自分のリハビリにもなるのです。

ですから病気そのものはもちろんいやだったし、入院しているのももちろん嫌だったけれど、不思議なことに、ちょっと幸せ感もあったのです。夫は隣にいてくれて、リハビリに付き合ってもらったり、私のために買い物に行ってくれたり、毎日3食一緒にご飯を食べたりすることも楽しかった。外国ということもあって、まるで観光旅行に来ているような気持ちになることさえありました。英語がたくさん話せることも、うれしいことの一つでした。早く日本に帰りたいと強く願う一方で、このままが続けばいいのになと思う気持ちもありました。そのころは、今より感覚麻痺が少なく、かなり体調がいい日もありました。もうすぐにでも退院して、自由に何でもできるような気持ちさえしていました。
ところが、日本に帰るために退院して、初めて病院近くのスーパーなどへ行ってみると、それはとんでもない夢だったことがわかりました。わずか1時間で疲れ果て、いろいろ思い描いていた「やりたいこと」が、まったくできないままに、とにかく空港近くのホテルに行って休むのが精いっぱいだったのでした。