突然の脳梗塞・・あれから3か月 | mimiのブログ

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脳梗塞から2年半。
後遺症は感覚麻痺。見た目は元気そのものです。
最近少しずつ、元気に過ごせる日が増えていると思います。
30年間続けた仕事を退職して、新しい仕事に挑戦中です。
まだまだ人生これからだ!!!

1月8日の夜・・・冗談ではなく「再起不能」が頭をよぎった。フィリピンでの出来事である。粗末な木のベンチの上に寝かされながら、「まだ、人生終わるのは早いよなあ」とぼんやり考えた。それから、目を閉じるのが怖くて、必死に開けていた。だれかれ構わず目を合わせて見つめていた。目を閉じて次に目を開けたら、動けなくなっているような気がしたのだ。最初のパニックから脱するまでは、死んでしまうのではないかとさえ思っていた。
次第に気持ちがはっきりしてきて自分がどうすることが、助かるための道なのかを考え実行した。そして、運がよかったのだろう、ともかく自分は今ここにこうしている。支えてくれた家族には本当に感謝している。ただし、多分もう一生分の運を使い果たしてしまったので、宝くじはあたらない。お年玉年賀はがきさえ、たったの一枚だった。あっ!でもそれは私宛のはがきだった。運の最後のかけらだったのかしら。


そして何と、明日からは仕事に復帰する。どれくらいできるのか、わからない。わからないけれど、あやしの先生のおかげでずいぶん不安が解消した。具体的な体の治癒というよりは、自分が苦しんでいることをわかってもらえたことによるストレスの開放が大きいのではないかと思う。もちろん感覚は驚くほどよくなっている。残念ながら、痛みは薬を飲まないと、まだまだひどいことがわかった。いや、痛みについてはむしろ悪化しているかもしれない。まあ、仕方がない。あんなに激しい陰影が脳を侵しても、こうして元気に病気の前とほとんど同じことができることを素直に喜ぼう。ちなみに「あやしの先生」というのは、感覚麻痺を改善するために通い始めた、整体の先生である。「怪しい術??」を使い、「体にきいて」治療をなさるので、我が家ではそう呼ぶことにした。


仕事復帰と決まってから、少しずつ走り始めた。「また独特のこだわり」・・だと夫は思うだろう。そのこだわりが、私を前へ進める推進力にもなっているのだから仕方がない。復帰までに10キロ走れるようになりたかった。7日からは毎朝子どもたちと走るつもりである。それができるという確信がほしかった。もちろんペースはゆっくりでかまわない。今日、ついに10キロ走った。正確には11キロである。本当は昨日達成するはずであったが、昨日は体調が悪く5キロで断念していた。これを達成するために作戦を練った。北堀公園には様々な花が咲いている。数えてみるとだいたい10種類くらいある。そこで1周につき一つずつ写真を撮ることにした。それはちょうど休憩にもなり、いやにならずに最後まで続けることができた。満足した。そして安心した。


さて、明日から仕事である。復帰するに当たって、職場の方々からずいぶんと心配してもらったり、相談にのってもらったりした。また仕事そのものについても、私が無事に一年乗り切れるようにとたくさんの配慮をしていただいた。また忙しい毎日が始まる。授業の準備に関することには力を入れてがんばりたいし、子供たちとのランニングの練習ももちろんやりたい。それ以外にもやるべきこと・やりたいことはたくさんある。けれども、なんでもかんでも全力でやる・・・というやり方ではなく、うまく仕事を選んで力の入れ具合を加減しながらストレスや疲れををためすぎないように、自分で調節しなければいけないと思う。家事は間違いなくおろそかになる。家族の皆さんごめんなさい。


ジョギングコースの桃とレンギョウ