12月13日
夜中の1時過ぎだったと思う。
麻酔が完全に切れて、目が覚めた。
酸素マスクをされ、ふくらはぎにはマッサージ器具のような、
"締め付けては解放する"を繰り返す物が付けられていた。
キョロキョロしていると、看護師が現れ、
酸素マスクを外された。
もう必要ないようだ。
目を覚ましたその部屋は、HCU。
急変した場合に備えて、念のため、
一晩そこで見守ると、先生が言っていた。
”集中治療室のようなところ”であった。
どんな経緯で来たのだろうか?
色んな患者さんが居た。
認知症と思われる方は、事態がわからず相当怯え、
「どなたか助けて下さい」
と言い続けていた。
私の右隣の男性は、
苦しそうにずっとうめき声をあげていた。
痛い。
傷のあたり。
まるで焼きごてを当てられているよう。
そして、その部分が脈を打っている感覚。
痛い時は我慢せず、看護師に言って、
痛み止めを使ってもらうように、と、
先生に言われていた。
"お言いつけ通りに"ナースコール。
しかし・・・
入院初日に、何人も測った挙句に得た結論、
「平山さんは血圧が低いのだ」
という事が、この部屋には伝達されていないようだ。
「こんなに血圧の低い人に使ったら、意識が遠退いてしまう」
と、痛み止めを使う事を躊躇され、
少し様子をみる、という事になった。
つまり我慢。
(いやいや、血圧それが普通だし。むしろ遠退きたいし!)
汗が止まらない。
痛みを我慢しているうちに、色んな事にイライラし始めた。
足の"マッサージ機もどき"は、
初めは気持ち良かったが、だんだんしつこく感じるようになった。
こんな状況でなかったら、かなり嬉しい物だったはずだ。
(でも、もういい。)
左手人差し指にテープで巻きつけられた、
赤い電球付きの何か。心電図の為の物だろうか。
痛くもかゆくもない物が、
邪魔に思えてきて、イライラした。
たいして時間は経っていないのだろうが、
本当に痛かった。
自分なりに頑張って我慢した。
申し訳ないと思いつつ、再びナースコール。
看護師が数人で相談した後、
透明の液体の入った小さなボトルが、
点滴スタンドにぶら下げられた。
待ちに待った痛み止めが始まった。
・・・痛い。
時間と共に、痛みが増しているように思う。
30分位で効いてくるとの事だったが?
どうやら効かないらしい。
ナースコール。
若い男の子の看護師が現れ、
私の訴えに答えて言った。
「効かないかぁ。
この痛み止めは、人によっては背中からの麻酔と
相反してしまう事があるんだ。
でもごめん!
一回使うと6時間空けないと次を使えないんだ」
私はこの”人によって”に当てはまってしまったようだ。
どの位の確率なのか知らないけれど、
こんな所じゃなく、くじ運とかがいい。
そんな風に自分を情けなく思いながら、
"無駄な我慢"の6時間がスタートした。
そういえば、初日に薬剤師さんから、
入院中私に使われる薬の説明を聞いていた。
写真付きの説明書を見ながら。
確か、痛み止めは2種類。
透明の液体を1本、白濁した液体を2本。
計3本+座薬。
これが、私の1日に使える痛み止めの全てだった。
痛み止めは2種類あるのに、なぜ1本目に、
背中の麻酔と相反する可能性のある物、
つまり、"効かないかもしれない物"を使うかね?
恨めしく思った。
それにしても効かない。効かないのに、
血圧だけは、予想通り下がっていった。
さっきの男の子看護師がペンライトを手に現れ、
私の顔を見ながら、
「意識ある?名前言える?自分ちの郵便番号言える?」
私が意識不明になっていないか確認していく。
「痛いだけで、大丈夫です~ 何でも聞いて下さい~」
そんな事を数回。
ついに頭上のモニターにランプが点き、
「ピンポーン ピンポーン」
チャイムが鳴り響いた。
またまたさっきの男の子看護師が現れ、
「大丈夫~?」
と問われ、
「相変わらずです~ 痛いだけです~」
力無くも答えると、
「平山さん、ランプ点いちゃったよ。あ~あ。血圧77だって!
今までこれで生きてきたんだね~」
まるで私を新種の生き物のように眺めて言った。
(もしかして、楽しまれてる?)
それにしても、
ひょっとしてこの状況は、軽く危篤状態なのでは?
ふいに頭をよぎった。
時間の経過と共に、痛みは強くなっていく。
汗が流れ続ける。
何人ものうめき声にかき消されるのをいいことに、
「痛い~ 痛い~」とすすり泣くことで、
ほんの少し気を紛らわしながら、
長い長い夜を過ごす。
「翌日には歩行が可能です」
の先生の言葉を信じ、我慢我慢。
きっと朝が来たら、グッと楽になるに違いない、と。
夜中の1時過ぎだったと思う。
麻酔が完全に切れて、目が覚めた。
酸素マスクをされ、ふくらはぎにはマッサージ器具のような、
"締め付けては解放する"を繰り返す物が付けられていた。
キョロキョロしていると、看護師が現れ、
酸素マスクを外された。
もう必要ないようだ。
目を覚ましたその部屋は、HCU。
急変した場合に備えて、念のため、
一晩そこで見守ると、先生が言っていた。
”集中治療室のようなところ”であった。
どんな経緯で来たのだろうか?
色んな患者さんが居た。
認知症と思われる方は、事態がわからず相当怯え、
「どなたか助けて下さい」
と言い続けていた。
私の右隣の男性は、
苦しそうにずっとうめき声をあげていた。
痛い。
傷のあたり。
まるで焼きごてを当てられているよう。
そして、その部分が脈を打っている感覚。
痛い時は我慢せず、看護師に言って、
痛み止めを使ってもらうように、と、
先生に言われていた。
"お言いつけ通りに"ナースコール。
しかし・・・
入院初日に、何人も測った挙句に得た結論、
「平山さんは血圧が低いのだ」
という事が、この部屋には伝達されていないようだ。
「こんなに血圧の低い人に使ったら、意識が遠退いてしまう」
と、痛み止めを使う事を躊躇され、
少し様子をみる、という事になった。
つまり我慢。
(いやいや、血圧それが普通だし。むしろ遠退きたいし!)
汗が止まらない。
痛みを我慢しているうちに、色んな事にイライラし始めた。
足の"マッサージ機もどき"は、
初めは気持ち良かったが、だんだんしつこく感じるようになった。
こんな状況でなかったら、かなり嬉しい物だったはずだ。
(でも、もういい。)
左手人差し指にテープで巻きつけられた、
赤い電球付きの何か。心電図の為の物だろうか。
痛くもかゆくもない物が、
邪魔に思えてきて、イライラした。
たいして時間は経っていないのだろうが、
本当に痛かった。
自分なりに頑張って我慢した。
申し訳ないと思いつつ、再びナースコール。
看護師が数人で相談した後、
透明の液体の入った小さなボトルが、
点滴スタンドにぶら下げられた。
待ちに待った痛み止めが始まった。
・・・痛い。
時間と共に、痛みが増しているように思う。
30分位で効いてくるとの事だったが?
どうやら効かないらしい。
ナースコール。
若い男の子の看護師が現れ、
私の訴えに答えて言った。
「効かないかぁ。
この痛み止めは、人によっては背中からの麻酔と
相反してしまう事があるんだ。
でもごめん!
一回使うと6時間空けないと次を使えないんだ」
私はこの”人によって”に当てはまってしまったようだ。
どの位の確率なのか知らないけれど、
こんな所じゃなく、くじ運とかがいい。
そんな風に自分を情けなく思いながら、
"無駄な我慢"の6時間がスタートした。
そういえば、初日に薬剤師さんから、
入院中私に使われる薬の説明を聞いていた。
写真付きの説明書を見ながら。
確か、痛み止めは2種類。
透明の液体を1本、白濁した液体を2本。
計3本+座薬。
これが、私の1日に使える痛み止めの全てだった。
痛み止めは2種類あるのに、なぜ1本目に、
背中の麻酔と相反する可能性のある物、
つまり、"効かないかもしれない物"を使うかね?
恨めしく思った。
それにしても効かない。効かないのに、
血圧だけは、予想通り下がっていった。
さっきの男の子看護師がペンライトを手に現れ、
私の顔を見ながら、
「意識ある?名前言える?自分ちの郵便番号言える?」
私が意識不明になっていないか確認していく。
「痛いだけで、大丈夫です~ 何でも聞いて下さい~」
そんな事を数回。
ついに頭上のモニターにランプが点き、
「ピンポーン ピンポーン」
チャイムが鳴り響いた。
またまたさっきの男の子看護師が現れ、
「大丈夫~?」
と問われ、
「相変わらずです~ 痛いだけです~」
力無くも答えると、
「平山さん、ランプ点いちゃったよ。あ~あ。血圧77だって!
今までこれで生きてきたんだね~」
まるで私を新種の生き物のように眺めて言った。
(もしかして、楽しまれてる?)
それにしても、
ひょっとしてこの状況は、軽く危篤状態なのでは?
ふいに頭をよぎった。
時間の経過と共に、痛みは強くなっていく。
汗が流れ続ける。
何人ものうめき声にかき消されるのをいいことに、
「痛い~ 痛い~」とすすり泣くことで、
ほんの少し気を紛らわしながら、
長い長い夜を過ごす。
「翌日には歩行が可能です」
の先生の言葉を信じ、我慢我慢。
きっと朝が来たら、グッと楽になるに違いない、と。