12月13日
いよいよ手術の日になった。
夕べ消灯前に飲んだ下剤のお陰で、
明け方、かなり早くに目が覚めた。
寝付く前にすでにゴロゴロいっていたのだが、
痛くはなかったので、無視して寝たが、
明け方は、もう腹痛で目が覚めた。
トイレに駆け込み、しばし苦しみ、
どうにか復活したものの、
せっかく食べた晩御飯・・・
ちょっぴり泣きたくなった。
起床の時間。
病棟の中が人の動く気配に満ちていく。
看護師が笑顔でやって来て、
すでに疲れ果てている私に、
なんと駄目押しの”浣腸”!
すぐお手洗いに行き、そこで数分我慢するように、
ということだったが、我慢などきかない。
干からびるかと思うほど苦しんだ。
もう夕べの晩御飯は、小さじ1杯すら残っていないだろう。
ここから、手術までの時間、
ひたすら空腹に耐えることとなった。
私の手術は、予定では午後、
麻酔室が空き、先生達の準備が整い次第、
お迎えが来てくれる。
だいたい14時頃だろうとのことだった。
主人、母、弟、そして叔母が来てくれる事になっていた。
父は、というと、
「恐いから行かない」の一点張りで、
愛犬とお留守番となった。
風邪を引く度、自らさっさと病院に行き、
注射を打ってもらうのに、
”手術”となると、病院が恐いのだ。
自分が手術されるわけではないのに。
中学の頃だと言っただろうか?
母親(私の祖母だが)が片肺を摘出された時も、
病院に行きたくなくて、家から逃げ出し、
どこかに隠れていたそうである。
仕方ない。
頑張って来たら来たで、
気絶でもして、病院に御迷惑をおかけしては大変なので、
家族みんな、説得など試みず、そっとしておいたようだ。
それがいい。
立会いの家族が全員揃って、お昼を過ぎた頃、
K先生が何やら抱えてお越しになった。
「平山さん、点滴付けるから」
とだけ言うと、
前置きなく、サッサカ点滴の針をつけていった。
「少し我慢して下さいね~」
とか、
「ちょっとチクッとしますよ~」
とか、一切ないのである。
この先生は。
腕を引いたり、逃げようとしたり、
一切出来ない雰囲気を醸し出している。
いや、そんな時間を与える間がないのである。
そんなわけで、気付いたら点滴が付いていた。
痛いのとは少し違う、くすぐったいような違和感がある。
同室の先輩達がおっしゃるには、
これも”慣れ”だそうである。
そして、点滴のパックがぶら下がったキャスター付ポール、
これが、この瞬間から、どんな時も離れない”御供”となった。
空腹に耐えながら、そんなこんなをしていたら、
看護師が来て、
手術着に着替える事になった。
前合わせの、浴衣のような青い手術着、
そして食品工場の従業員のような、不織布のキャップ。
妙ないでたちで、お迎えを待つ事になった。
着替えてから、思ったより早かったように思う。
ついにお迎えが来た!
来たのだが・・・
私はテレビでよく見るように、
ストレッチャーに乗って、
連れて行ってもらえるものとばかり思っていた。
しかし、現実はそんなものではなく、
妙ないでたちで、御供(点滴)をカラカラ引き連れ、
立会いの家族も一緒に、
”徒歩にて”乗り込むのであった!
エレベーターに普通に乗り、
廊下を普通に歩き、
麻酔室に到着した。
スタッフが出て来て、
名前、生年月日、
左右どちらの腎臓を摘出するのかを質問された。
「右です」答えると、
右手の甲に丸いシールを貼られた。
部屋の中には、
いくらなんでも、こんなに要らないでしょう。
と思う位の人数のスタッフがいた。
そして、このままここで手術も行われるのか、
それとも、移されるのか、
何もわからないけれど、とにかく、
よくテレビで見るような手術台と思われる台の上に、
言われるまま、
「よいしょっと!」
”自ら”上り、横になった。
麻酔で寝てしまう前に、
背中にカテーテルが付けられるという。
針は太いのかしら?
痛いのかしら?
落ち着かない。
もう、スタッフに自己申告してしまおう。
思い切って口を開いた。
「すみません。とにかく注射とか、恐いんです。
騒いだらごめんなさい。
暴れないように、動かないようには努力しますので、
わめいても放っておいて下さい。」
穏やかな声が返ってきた。
「大丈夫ですよ~
今から朦朧とする薬を入れるので。」
数秒後、
(ほんとだ・・・朦朧とするのね・・・)
身体は動かせない。
声も出ない。
ただ、視界に映る景色をボーッと眺めながら、
「ごめんね。今日まで本当にありがとう。」
心の内で、癌そして右の腎臓にお別れをした。
そしていつの間にか意識がなくなっていた。
それから私が覚えているのは、
「頑張った」とか「お疲れ様」とか言いながら、
私の顔を覗き込む、
母と叔母の顔だった。
(やっぱりこの姉妹はよく似てる・・・)
そんな事を思いながら、ボーッとしていた。
廊下らしきところ。
どうやらベッドに寝かせられているようだった。
ベッドが動き、天井が流れて行く。
どこかへ運ばれて行くようだ。
どこかに到着し、ベッドが止まると、
また母と叔母の顔が現れた。
後ろの方に、主人と弟も見える。
「今日はこのままよく寝なさい。また来るから」
母と叔母が言い、
視界から顔が消えて、
一同は、帰って行った。
(はい。そうします・・・)
瞼が重い。
私はすぐに眠りに入っていった。
いよいよ手術の日になった。
夕べ消灯前に飲んだ下剤のお陰で、
明け方、かなり早くに目が覚めた。
寝付く前にすでにゴロゴロいっていたのだが、
痛くはなかったので、無視して寝たが、
明け方は、もう腹痛で目が覚めた。
トイレに駆け込み、しばし苦しみ、
どうにか復活したものの、
せっかく食べた晩御飯・・・
ちょっぴり泣きたくなった。
起床の時間。
病棟の中が人の動く気配に満ちていく。
看護師が笑顔でやって来て、
すでに疲れ果てている私に、
なんと駄目押しの”浣腸”!
すぐお手洗いに行き、そこで数分我慢するように、
ということだったが、我慢などきかない。
干からびるかと思うほど苦しんだ。
もう夕べの晩御飯は、小さじ1杯すら残っていないだろう。
ここから、手術までの時間、
ひたすら空腹に耐えることとなった。
私の手術は、予定では午後、
麻酔室が空き、先生達の準備が整い次第、
お迎えが来てくれる。
だいたい14時頃だろうとのことだった。
主人、母、弟、そして叔母が来てくれる事になっていた。
父は、というと、
「恐いから行かない」の一点張りで、
愛犬とお留守番となった。
風邪を引く度、自らさっさと病院に行き、
注射を打ってもらうのに、
”手術”となると、病院が恐いのだ。
自分が手術されるわけではないのに。
中学の頃だと言っただろうか?
母親(私の祖母だが)が片肺を摘出された時も、
病院に行きたくなくて、家から逃げ出し、
どこかに隠れていたそうである。
仕方ない。
頑張って来たら来たで、
気絶でもして、病院に御迷惑をおかけしては大変なので、
家族みんな、説得など試みず、そっとしておいたようだ。
それがいい。
立会いの家族が全員揃って、お昼を過ぎた頃、
K先生が何やら抱えてお越しになった。
「平山さん、点滴付けるから」
とだけ言うと、
前置きなく、サッサカ点滴の針をつけていった。
「少し我慢して下さいね~」
とか、
「ちょっとチクッとしますよ~」
とか、一切ないのである。
この先生は。
腕を引いたり、逃げようとしたり、
一切出来ない雰囲気を醸し出している。
いや、そんな時間を与える間がないのである。
そんなわけで、気付いたら点滴が付いていた。
痛いのとは少し違う、くすぐったいような違和感がある。
同室の先輩達がおっしゃるには、
これも”慣れ”だそうである。
そして、点滴のパックがぶら下がったキャスター付ポール、
これが、この瞬間から、どんな時も離れない”御供”となった。
空腹に耐えながら、そんなこんなをしていたら、
看護師が来て、
手術着に着替える事になった。
前合わせの、浴衣のような青い手術着、
そして食品工場の従業員のような、不織布のキャップ。
妙ないでたちで、お迎えを待つ事になった。
着替えてから、思ったより早かったように思う。
ついにお迎えが来た!
来たのだが・・・
私はテレビでよく見るように、
ストレッチャーに乗って、
連れて行ってもらえるものとばかり思っていた。
しかし、現実はそんなものではなく、
妙ないでたちで、御供(点滴)をカラカラ引き連れ、
立会いの家族も一緒に、
”徒歩にて”乗り込むのであった!
エレベーターに普通に乗り、
廊下を普通に歩き、
麻酔室に到着した。
スタッフが出て来て、
名前、生年月日、
左右どちらの腎臓を摘出するのかを質問された。
「右です」答えると、
右手の甲に丸いシールを貼られた。
部屋の中には、
いくらなんでも、こんなに要らないでしょう。
と思う位の人数のスタッフがいた。
そして、このままここで手術も行われるのか、
それとも、移されるのか、
何もわからないけれど、とにかく、
よくテレビで見るような手術台と思われる台の上に、
言われるまま、
「よいしょっと!」
”自ら”上り、横になった。
麻酔で寝てしまう前に、
背中にカテーテルが付けられるという。
針は太いのかしら?
痛いのかしら?
落ち着かない。
もう、スタッフに自己申告してしまおう。
思い切って口を開いた。
「すみません。とにかく注射とか、恐いんです。
騒いだらごめんなさい。
暴れないように、動かないようには努力しますので、
わめいても放っておいて下さい。」
穏やかな声が返ってきた。
「大丈夫ですよ~
今から朦朧とする薬を入れるので。」
数秒後、
(ほんとだ・・・朦朧とするのね・・・)
身体は動かせない。
声も出ない。
ただ、視界に映る景色をボーッと眺めながら、
「ごめんね。今日まで本当にありがとう。」
心の内で、癌そして右の腎臓にお別れをした。
そしていつの間にか意識がなくなっていた。
それから私が覚えているのは、
「頑張った」とか「お疲れ様」とか言いながら、
私の顔を覗き込む、
母と叔母の顔だった。
(やっぱりこの姉妹はよく似てる・・・)
そんな事を思いながら、ボーッとしていた。
廊下らしきところ。
どうやらベッドに寝かせられているようだった。
ベッドが動き、天井が流れて行く。
どこかへ運ばれて行くようだ。
どこかに到着し、ベッドが止まると、
また母と叔母の顔が現れた。
後ろの方に、主人と弟も見える。
「今日はこのままよく寝なさい。また来るから」
母と叔母が言い、
視界から顔が消えて、
一同は、帰って行った。
(はい。そうします・・・)
瞼が重い。
私はすぐに眠りに入っていった。