若い頃、飲食店のウェイトレスをしていた時
厨房はなぜか中国人ばかりだった。

今は、発展し続けている中国ではあるが
昔は中国人が日本に出稼ぎに来ている時代で
日本で働いたお金を中国に持ち帰ると
相当裕福な生活ができるらしかった。

また、誰もが日本に来れるわけではなく
色々なツテや大金はたいて、一攫千金を狙って
日本に出稼ぎに来ていたのである。

厨房とホールだから、よく話すようになり
日本語をよく教えてあげたりした。

中国人達は、開店から閉店までの生活の日々で
それはそれはよく働いていた。

私は、中国のことは全く知らなかったので
貧しい中国人達がぎゅうぎゅう詰で船に乗って
日本に入国して、仕送りを待つ家族のために寝る間を惜しんで働いているのだと思い
働き者の中国人にすごく感動していた。


親、兄弟、妻や子供の為に知らない土地で
寂しさに耐え、不安を抱えながらも
家族の為にオープンからラストまで働く姿に
ほんとうに、ほんとうに感動していた。

やっぱり、私はおめでたい。


また、言葉を教える楽しさがあり
中国人達も言葉を教わり喜んでいた。

オープン、ラストの中国人達は
常にお店で働いていたから
彼らの私服を見ることはなかったが
私はチャイナ服で靴はカンフーシューズを
履いているものだと思い込んでいた。

あるとき、何か用事でもあったのか早上がりした
中国人の私服を見たが、日本人と大して変わらない服装だった。

私は、中国人達はチャイナ服で中国からやってきて、日本で暮らすにはチャイナ服ではない方が
いいと考え、日本風の服を慌てて買いに急いだのだろう。と、その頃の私は勝手に妄想していた。

中国と言っても広いから、地域によっても色々
らしく、その中国人達は上海出身だった。

上海バンスキンと言う映画もあったが
上海は、中国の中でも華やかで、ちょっと
小粋なとこらしかった。

上海出身の中国人達も、上海は特別‼️と
いった感じで、上海出身の自分達を特別視
していて自慢げだった。

私が最初に思い描いていた中国と中国の中の
上海とでは、えらいイメージの差があったことに
のちのち気づくことになるが

だんだん、私の中での上海が魅惑的なものと
なっていった。

つづく