昨日娘がおばあちゃんの死ぬ前の弱ってるとき

会わなかたけれどそれでよかったと思うと書いた

 

それには理由があって

 

実は私も死に目には会えなかった

 

 

母の死は土曜日だった

 

その日は下の子は保育園に預けることができて

長女はお友達と遊んでもらうことになっていた

 

前日から母の容態はだいぶ悪くなっているようで

そして当日、それは父の命日。

 

姉も私も先生も、なんとなくこの日がXデーだと感じていた。

 

午前中から病院に行った姉からの連絡では

『お母さんの様子が昨日と違う』ということ

 

先生曰く今日危ないかも。

(夕方危ないかもって内容だったと思う)

 

一度行くと、きっと長くなるだろうと思って

私は午前中に子供たちを預けたり

夜ごはんの準備をしておいたり

とりあえずやることやってから病院に行こうと思っていた

 

前日に姉にも午後から行くと伝えていた

 

でも、刻刻と状態は変化していたようで

姉からは『早く来てくれたほうがいいかも』みたいな感じで連絡が

入ってたんだけど

 

私は最初の『夕方位』という言葉で、頭がそうなってたのか

 

「とりあえずやることやってから」行くって思いだった

 

「やること放っておいてでも今すぐ駆けつける」という状況だと思ってもいなかった

 

だけど、姉の感覚は違ったらしい

 

着信のバイブの音に気づいたときにはもう何回目かの電話だったみたい

 

『わかった!すぐ行く!』と言って

病院に駆け付けたけれど、

母の心臓は止まっていた

 

でもどういう状態なんだろ

 

身体の中の空気が抜けるためなのか

まだ身体は息をしてるみたいにわずかながら胸が上下していたように感じた

 

看護師さんと、姉が、母のそばに座って話をしていた

 

看護師さんは『おかあさん、待っててくださいましたよ』って言ってくださった

 

 

でも、私の中では

海外に住む姉が死に目に会えたのに、車で10分ほどの距離に住む私が

死に目に会えなかったなんて…と

悲しいというか、なんとも言えない気持ちになった。

 

だけどね、あとから姉に聞いたら

その日の母の様子がいつもと違いすぎて…

(ちなにもその日も、朝、母はトイレに行きたいと言って看護師さんに支えてもらいながら

立ち上がり数歩歩いてトイレに行ったらしい)

 

でも息を引き取る少し前は本当にしんどそうで

見てるのも辛かったと。

 

あんなに強い姉がそう言うんだからよっぽどだと思う。

 

そう思うと、私の中での母の最期の姿がそんな苦しそうな母じゃなくてよかった。

 

きっと私は見てて耐えられない気がする。

そして今でもつらいのにきっと、もっと辛かったと思う。

 

母のことを思うとその辛そうな母が浮かんできたんだと思う

 

でも幸い私の中での最後の母は死後の穏やかな顔をしている母と

病院内でもしんどうそうだけど、穏やかに眠っていた母の姿

 

それを姉一人に背負わせて申し訳なかったけれど

でも、私がそんな母を見たくなかったのと同様、娘も

あんなつらそうなおばあちゃんは見たくなかった…

 

見なくてよかったんだと思った。

 

なんで海外に住む姉が母の死に目に会えて

近所に住む私が会えなかったのか

 

最初は後悔したけれど、あとあと考えてみれば

これでよかった

 

「こうしなければならない」はない