日々生活している中で、ブログに書きたいなと思うようなことはたくさんあるんだけれど

ホント文字の如く忙殺されている感じで、流れていってしまっている現状…

 

でも、もう半年も前のことだけど、やっぱり母親のことは文字にして残しておきたいと思ったので

ちょっと書いていこうかと思います。

 

(これまた私の忘備録的なものになると思います)

 

 

以前のブログにも書いたけれど、母親は72歳で昨年10月15日に亡くなりました。

(15年前に62歳で亡くなった父と同じ命日でした)

 

8月末(夏休みの最終日)も私や子ども(孫)たちと遊んだり

8月の前半は友達と旅行に行って打ち上げ花火見て飲んで食べて遊んできてお土産も買ってきてくれた♪

 

そんな何一つ病気の様子も見せなかった母が9月になり『体調が悪い』『食べられない』と言い出した。

 

 

最初は胃腸の調子がおかしいのかな?くらいに思ってたんだけど

8月末は元気だった母親やその一週間後には随分痩せていて、これはヤバいなってすぐに分かった。

 

町医者で検査したけど大きな病院で検査するように言われて

9/22に総合病院で検査の結果、末期のすい臓がんとのことだった。

 

CTの結果を一緒に見たけど、肝臓も腫瘍でボコボコになっていて、胃にも浸潤しているとのことだった。

 

その時点では年を越せるかどうかと言われて、私の中では余命3か月との認識だった。

 

母の兄も若くして(50代)で同じく膵臓癌で亡くなっているけれど

余命3か月の宣告のあと8か月生きることができたよ、とその後従妹に聞いた。

 

だから、母も3か月と余命宣告されてもきっと余命より長く生きるだろうなって感じていた。

 

 

最初は化学療法(抗がん剤治療)をやってみるということで翌週の26日から入院することになった。

 

その前日の25日。

母親の友達が来るから私にも同席してほしいということで、実家に行った。

 

よく母が飲みに行っていた友達。

8月に旅行に行った友達たちで、母の変わりようにビックリされていた。

 

でも、母は自分の死を覚悟していたんだろう。

自分に何かあったらこの人たちに連絡してほしいからってことで

私はその母の友達たちとLINE交換をした。

 

そして、お友達が帰ったあとに

母が持っている通帳類や、家関係の登記簿みたいなの?とかいろいろまとめて渡された。

 

●この通帳には年金が入る事

●この通帳に貯めてあるのは孫に使ってほしいとうこと

●残りの預金は姉と二人で分けてほしいということ

●自宅の名義は私名義に変更すること

●自宅は売ってもいいし、私がサロンとして使ってもいいとか

●葬式はあげなくていい。火葬場に直送してほしいとのこと。

  →これは話し合いで、家族葬くらいならいいとの許可をもらった

  →わざわざお葬式で集まってもらわなくていい。でも、近所の人やお友達が来てくれてると思うから

   そんなときは、うちは仏壇がないから…あの棚をちょっと片づけて遺影とお線香たてとりん(?)をおいて…とか。

   それから箱のお菓子かなんか買っておいて持って帰ってもらうんやで。とか。

   私が困らないようにほんと事細かに伝えてくれた。

●お墓には入りたくないということ。散骨してほしいというのが母の昔からの願い

  →散骨は絶対にする約束をしたけれど、お墓に全く入れないのはどうかな

   お父さんがいるお墓に行っても、お母さんがいないと思うと寂しいから

   少しだけ入れてもいい?とお願いして、それも一応許可もらった

●散骨は太平洋にしてほしい。船で沖にでてやってほしいとのこと。

  →母は愛知県の三河湾の近くで育ったので、そのあたりでするのか聞いたところ

   そんな湾の中は嫌だ。死んでまでそんな狭いところにいたくない。

   散骨はどこでもいいけど太平洋で外洋まででてやってほしいという。

  

散骨に関しては姉がオーストラリアに住んでいるからというのもあると思うけれど

死んでまでお墓とか、海は海でも湾の中とかの狭いところじゃなくて

広いところでのびのびしたいっていつも言っていた。

 

そして、お墓じゃなくて海にいったらお母さんがそこにいるんやなって思ってくれたらいいし

お墓で供養するとかじゃなくて、みんなが思ったときにお母さんのこと思い出してくれたら

それでいいやんって。

 

そんな自由な考え方の人だった。

 

そして、入院は決まっているけれど、化学療法はやめて緩和ケアにすると決めていたようだった。

 

こうと決めたら本当に曲げない人

 

母の潔さにすごいと改めて思った