2022年3月6日(日)

 

昨日の花火は惨敗。ホテルで納豆を食べ、今日も ヘロヘロだけど 水戸藩の歴史をたどる旅を続ける。

 

1日目、ひとり旅のとき、偕楽園のお隣にある常盤神社を訪れていた。

そして3日目の今日も少し寄ってみる。1日目と3日目の画像を取り混ぜての紹介。

 

 

常盤神社は、偕楽園のおとなり。

歴史は浅いが、あの光圀公と斉昭公を祀る神社。

 

 

①常磐神社社殿 

 

義公・烈公の徳を慕う人等によって建立された常盤神社。明治初期に建立されたもので、歴史は浅い。
水戸藩 第2代藩主 徳川光圀公(義公):高譲味道根之命
水戸藩 第9代藩主 徳川斉昭公(烈公):押健男国之御楯命

が祀られている。

この画像は、初日。金曜日の午後なので、人が少ない。

 

日曜日画像。人が多い。

ふたりで、お参り。ぱんぱんお願いむにゃむにゃ~(←長い願い事)

 

ここには、御紋が2つ並んでいた。葵の御紋と、菊の御紋。

珍しい、というより、徳川家って天皇家。すごいねぇ。

 

 

②義烈館 

 

ここの再訪問の理由。

歴史を学ぶためにどうしても行きたかった『義烈館』が平日休館だったから。マンボウの関係なのか、平日休館・土日のみ営業だった。

ご注意を!!(←お前が注意しろ~ゲラゲラ

 

とはいえ、『義烈館』は、撮影禁止。

「水戸のすごいもの」このリンクから見てね。

 

「すごいものあります」という広告に偽りなし?!

幕末の三舟(←聞いたことないぞ)の直筆掛け軸も見ちゃったもーん。

 

しかも入館料はお安い。

が、さっきHPで見たら、割引クーポンが?!みなさん、行くときは、ぜひ上のリンクから、クーポン手にいれて、お得に入ってください。

 

 

③浪華の梅 

 

義烈館入り口横にある、まだ咲いていなかった梅の木は「浪華の梅」と呼ばれる。

 

これはまた、三人の黄門(光圀、斉昭、慶喜)さまの意志が語り継がれた梅だとか。

光圀公は『梅花記』を記し、梅を愛し、烈公はその意志を引継ぎ『種梅記』を書き偕楽園を作り、次の歌を詠んだ。

 

家の風 今もかをりのつきぬにそ 文このむ木の さかりしらるる

 

そして、有志の人々が、義公が手ずから植えられたという梅樹が絶え失せてしまう事の無いように、常磐神社に移し植え、さらに、慶喜公が「家の風…」の和歌を揮毫され碑面に刻んだ、という、三黄門さまが力を合わせて残してきた梅である。

※黄門とは、中納言という位をもった人。水戸藩には、黄門さまは7人いる。

 

④能楽殿 

 

歴史を感じるお雛様が飾られていたのが能楽殿。

 

ここは常盤神社で唯一、戦火を免れて残った貴重な神楽殿の建物を能舞台に改装したものなんだそう。戦火を免れたのは、この大きな木が関係してるのかな?

 

⑤東湖神社 

 

藤田東湖(ふじたとうこ)を祀る。

この神社は比較的新しくて、紀元2600年記念事業として、昭和18年に創建されたもの。

 

藤田東湖は、「晴天を衝け」でもたびたび、賢人として登場していた。(←渡辺いっけい)初めて聞いた名前だったけど、印象深かった。

藤田東湖は、斉昭公に仕え、天保の改革、弘道館の創建をはじめ、斉昭公の片腕として活躍し、薩摩の西郷隆盛や越前の橋本景岳など天下の志士から景仰された。が、安政の大地震で母の身代わりとなって亡くなっている。

 

そして、大河でも印象的だったのが、息子の藤田小四郎は、天狗党を率い、攘夷を唱え、筑波山で挙兵したこと。結果的に慶喜の立場を悪くしたのが水戸藩。天狗党は、惨敗し、小四郎は斬首刑。その首は水戸藩内にもさらされたそう。そんな、少しブラックな歴史もある水戸藩・・・。

 

全部、回って画像もあるんだけど、以下、これで省略~!

 

水戸藩は奥が深い~真顔

 

このあと、梅林を抜けて、次の目的地にテクテク。線路をまたぐ橋で、また人だかりにひっかかる。←初日と同じパターンゲラゲラ

 

常磐線。

 

657系特急「ときわ76号」(←と、デミ師匠がブログに書いてました)

 

常磐線9024M 水戸梅まつり号(←と、デミ師匠がブログに書いてました)

 

3本も、てつってしまったにやり

しかも、場所は違えど、たぶん、デミ師匠と同じてつ撮り。

電車名は、師匠のブログから・・・デミ師匠の撮ったのと、違っていたら、すみません!

 

 

 

ぷちふたり旅@常盤神社からの~常磐線!