2022年3月5日(土)
旅の2日目は、ダンさんと共に、水戸藩の歴史をたどってみる。弘道館のあとは、水戸の歴史の道。
このあたりは、水戸城があった場所で、歴史的資産を再現している。午後は、黄色の丸のあたりを回ってみた。
水戸城の由来は、平安時代末期から鎌倉時代初期に建てられた馬場氏の館であり、その後、江戸氏、佐竹氏を経て、水戸徳川家の居城となりました。大手門は、佐竹義宣が水戸城主であった1601年(慶長6年)頃に創建されました。その後、何度か建て替えが行われ、明治時代に解体されたと言われています。
弘道館の目の前、烈公(斉昭)さまの銅像を見ながら行くと、水戸城の入り口でもあった、大きな門にぶちあたる。
水戸城大手門
2020年2月4日、水戸城大手門の復元整備された。木造2階建て、高さ13.34m、幅17.18m、奥行き5.73mという迫力ある門。
今回の復元では、江戸時代の大手門と同じ在来工法が採用。復元までには、5年間で6回にも及ぶ発掘調査が行われ、門が建っていた場所や寸法などが明らかになりました。また、大型の瓦と粘土を交互に積み上げて作られた練塀も発見され、大手門の四隅に整備されました。なお、水戸城の練塀は、「瓦塀」と呼ばれているそうです。
でかくて立派!どれくらいデカイかというと・・・
こんなおっきい~
ひゃっほーい
ってこのポーズは
そう、これこれ。
最近のみゆちゃんの相棒たちのポーズ?!
そして、この大手門の横にちょっこりかわいいアートが。
水戸城の練塀は、「瓦塀」と呼ばれているらしいが、とても、キレイな塀だった。ちょっと、現代アートっぽい!
水戸城(跡)内から見た大手門。こっちから見ると、印象が違う。
水戸城址は学校群
水戸城跡は、今は、幼稚園・小中学校・高校などの教育機関5校が敷地内にある。
城址に学校が建てられることは珍しくないけど、こんなに学校が集まっているのは珍しい。弘道館がある影響なのかなぁ?
水戸市立第二中学校。
引いてみると、どーん
こんな立派な城内門が入り口だ。
ここもりっぱな城内門を模した学校門。茨城県立水戸第三高校。
二の丸には、水戸第二中学校、水戸第三高等学校、茨城大学付属小学校があるらしく、そして、こちらが一番奥にある、水戸第一高等学校は、本丸跡だ。
そして、ここには、水戸城の本丸跡に現存する「薬医門」がある。
さすが、現存の門。風格がある。
こんな白壁が続くステキな「水戸学の道」。
このあたりの学校で学ぶ生徒は、勉強熱心なんだろうな~なんて勝手に思い描く。
次は、のえまろ達も歴史の勉強だ!
ちょい脱線ネタ。
本丸跡にある、水戸第一高校は、男女共学だそう。トップレベルの高校なので、てっきり、男子高かと思っていた。栃木県のトップ高校は別学だから。
のえまろとコションオーナーちゃんの母校「宇都宮中央女子高等学校」(←別学だけど、notトップ高校)は、今年から男子学生を迎え入れる。
「宇都宮中央高等学校」に改名
こちらは、2月現在。
友人からもらった画像
って、どっちやねん!
な画像である。
穏やかでのほほんな女子高だったこの学校。これからどういう学校になるんだろうねぇ。
コションオーナーちゃんは、女子高でなくなることを寂しがっていたが、のえまろは、兵庫に住んでたとき、公立学校は全部共学だったので、「これが世の中のあるべき姿や!」と大賛成。
実は、当時、西宮市立西宮高校(←当然共学)の学区内だったのえまろは、春の甲子園の開会式のプレート持ち女子になる!(←毎年、市西女子担当)と心に誓っていたが、あえなく栃木に転校となり、しかも、女子高を受験するハメに。だから、半分、逆恨み