2021年8月1日(日)

 

ちょいちょい群馬、県境近くの館林まで、ちょいちょいっと。

 

館林は、タヌキ推しの街?

うどんを食べた時の落雁もタヌキの茶釜。

 

タヌキ推しなのは、館林に訪れているのに、行ったことがない、ぶんぶく茶釜の 茂林寺

 

爆笑『ぶんぶく茶釜ってなんだっけ?』

ガーン『え?知らんの?タヌキが茶釜に化けて、あっちっちって・・・』

ニコ『よくわからんが・・・』

にやり『うん。いまひとつ知らんから、勉強しにいこ。』

 

けっこう小さな門。これが総門。

 

でも、くぐると、中は開けていて、やっぱり、タヌキ、いるよね~ウシシタヌキは21体あるらしい。

 

タヌキ推しだもんね~?

 

そして、たぬき、笑ってるのよね~?

HAHAHAHAHAHA

楽しそうな顏ラブラブ

口から草が生えているたぬきも?!

HAHAHAHAHAHA

そして、みなさん、立派なモノを惜しげもなくさらしとるゲラゲラ

 

ここは、山門(通称:赤門)と呼ばれる門。茅葺と赤色の組み合わせって珍しいなぁ。しかも、けっこう立派な門なのに、阿吽がいない。なんとなく庶民的。

 

本堂も茅葺屋根。ここにぶんぶく茶釜が展示されている。

 

本堂にあるぶんぶく茶釜は、撮影禁止、しかもHPにも載っていないので、見に行ってみてね。

分福って名前は、福を分け与えられるという意味なので、ある意味パワースポットキラキラ

 

寺伝のぶんぶく茶釜

元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となったが、寺に仕える老僧守鶴というものが一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきた。この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがなく、守鶴は、この茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言った。
ところが、ある日、守鶴は熟睡中に、手足に毛が生え、尾が付いた狢(むじな:あなぐま?)(狸の説もある)の正体を現わしてしまう。もう寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せたのち、人々が感涙にむせぶ中、狢の姿となり、飛び去った。
 後にこの寺伝は、明治・大正期の作家、巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になった。

 

本堂はエアコンもなく、暑いあせる

汗だくあせる

でも、置いてあった絵本を市原悦子になりきって読む。

ダンさんに最後まで読みきかせたったにやり

 

絵本のぶんぶく茶釜

ある日、茂林寺にお供えものを狙ったタヌキが忍び込む。見つかりそうになったタヌキはあわてて、茶釜に化けるが、お湯をわかそうと茶釜を炉にかけられてしまい、その熱さに耐えかねた狸が正体を現した。驚いた和尚はその奇妙な釜を屑屋に売ってしまう。狸は、屑屋にその不思議な姿をあらわし、自分は狸の化けた茶釜「ぶんぶく茶釜」だと名乗って、軽業や踊りの芸を人前でやってお金を稼ぐので住まわせてほしいと屑屋に懇願。茶釜大夫の曲に合わせた綱渡り芸は人気を博し、多くの人が集まる見世物になり、屑屋を繁盛させた。充分に恩恵をもらった屑屋は、元の姿に戻れないタヌキを不憫に思い、余生をゆっくりと過ごしてもらおうと茂林寺に預け、茶釜として寺に安置された。

 

マジ、暑い~あせるあせるあせる 

でも、うろ覚えだったぶんぶく茶釜のおとぎ話が、整理できたってことでゲラゲラ

 

そして、これが守鶴堂。もちろん守鶴を奉ってる。

 

だから、たぬきがたくさん飾られてる。

 

境内や、守鶴堂、そして、帰りの参道のお土産屋さんでもたぬきがずらり。

たぬきの陳列に萌え。益子でもそうだったけど、大量生産萌~ゲラゲラ

 

参道はちょっと寂しいけど・・・

 

また来てなっ!( ̄ー ̄)ニヤリ By たぬき

 

さて・・・

モデルナワクチン接種後、ワクチン休暇を含め4連休となったのえまろ。

接種の次の日で終わったかと思ったら・・・結局、昨日まで、3日間、がっつり発熱。

しんどかった!ま、食欲はがっつりあったけどなっゲラゲラ

普段から発熱が多いから、覚悟はしていたんだけど、ここまで弱っちい自分にびっくり!

仕方ないことだけど、モデルナはもう接種したくない笑い泣き

今は、モデルナアームが、痒くて、カイカイ我慢大会ゲラゲラ

 

 

ちょいちょい群馬@暑すぎるぞ!館林!