こういう時、

母親の気持ちって、こうなるんですね。

 

 

母親の気持ちを

また心にしみて実感した出来事がありまして。

 

 

私も若かりし頃、

都合の良い時だけ母を頼りにして、

自覚なく、母の都合や気持ちを振り回し、

母のサポートがあったからこそ、

上手く物事が運んでいたのに、

そこには全く気付くことなく、配慮することなく、

自分のチカラで成長できていると思い込んで疑わなかった20代のころ。

 

 

いや、

母にはいつも感謝して、

言葉で伝えていたけれども。

 

 

母親のチカラが、

ここまで偉大で、強くて、深くて、

そして、

母がこんなに切ない思いをしていたとは。



そこには全く気付いていませんでした。


 

もし天国と繋がれるのなら、

あの頃のことを、母と話がしてみたい。

 

 

そしてやっぱり

「ありがとう」を伝えたい。

そんなことをヒシヒシと感じた週末の午後でした。

 

 

母が好きだった紫色のアジサイ

 

 

そんな週末の午後、

どこに思いをぶつけて良いのやら。

打ちひしがれて過ごしていた時に、

 

 

ポンっと私の心の中に降りてきたものは、

 

 

「そうだ。これを手放そう」という思い。

ふっと心が軽くなったのを感じました。

 

 

手放すと空いたスペースは埋められる。

これは原理原則であることを知っているし、

過去にも経験したことがあるので、

手放すことに抵抗感はなかったです。

 

 

前々から違和感があったんだと思います。

母親として、またひとつ成長できた経験でした。

 

 

 

 

そして偶然にも

似たような案件が、立て続けに私の周囲を賑わせていて。

 

 

私の行動が、

何かにつけて遮られて、

行く手を阻まれるような感覚を

感じ始めていたことがありました。

 

 

こういう違和感は、

サッと手放す。

 

 

これだけは絶対に手放したくない!と思い込んでいたものを、

ぎゅーーっと握りしめていた拳を、

そーーっと開放するような感覚で手放してみたら、

 

 

なんだか急に身体が軽くなって。

開放感で、トゲトゲしたものが私の内側からなくなっていく感覚を覚えました。

 

 

かといって、

不安がないかと言えば、それは嘘。

 

 

今でも、ぽっかり空いた空間があることに違和感があるし、

正直心細さもあります。

 

 

ただ、

あの時、あの判断は間違いじゃなかった。

そう言える時が必ず来るのも分かっています。

 

 

近いうちに大きな宝物が舞い降りてくる予感。

 

 

偶然にも

ちょうど2024年後半戦がスタートするとき。

 

 

こだわりは捨てて、

フットワーク軽く。

 

 

もうあの重たい荷物(感情)を降ろして、

迷わず前に進みます。