お久し振りです。みみみです。
眠いけど眠れない。
疲れていないはずなのに疲れている。
最近久しぶりに頭と心が苦しく自信がないので更新いたします。あまりないことですが、書きたいことがまとまっているわけではありません。
この場所はそれが許される気がするほど、安心するのです。
辛いことがあったわけじゃない。
俺に何か変化があったわけではない。
でも、何か変化があったのかもしれない。
足音もなく。影もなく。
そしてある日、突然それに気づくのだろう。急な衝動というのはそういうものだと理解している。
それもきっと結局、
「俺のせいじゃない」。
他人なんかのせいじゃない。
でも「俺のせいじゃない」。
寛容になんて絶対なりたくない。
優しくなんて絶対なりたくない。
明るくなんて絶対なりたくない。
少なくとも、無償ではなりたくない。
でもそれはきっと、
俺が決めることじゃないんだろう。
時に俺は俺であるために
その意思を殺さねばならないときがある。
しかも、苦もなく殺すときすらある。
それが本当の俺だと俺以外の人間はいう。
幸せに近い微かな時間を感じるたび、俺から長い年月と可能性を奪っている呪縛から少し解放される気がする。恐怖と憎しみに縛られた日々が終われる気がする。
でもそんな気がすればするほど、
自分に裏切られる怖さに気づく。
俺にとって、期待は裏切りの象徴。
この脳を取り替えたいと何度も思う。
もはや生きていること自体が、
長い年月をかけた自殺のような
そんな気さえしてくる。
いや、この考えはずっとある。
罠にかかった鼠のように
俺は自分の仕掛けた言葉にひっかかり、
まな板の上で内蔵を抉られる魚のように
感情が無理やり引き出されていく。
幸せに近い瞬間に喉をかっ切れば
俺は幸せになれるんだろう。
でももっと幸せになれるかもしれないという期待が俺を絶対に幸せにしてくれない。目的を達成するまで頑張れるかもしれないという期待が俺を絶対に幸せにしてくれない。
幸せに近い時間は全てプロセスへと分解されて、細胞の何処か隅っこへと消えていく。
13年前のように。
再び死へチャレンジしたら次はどうなるのだろうか。神は俺にまだ役割を残しているのだろうか。とても興味がある。
もしもないのなら、それが結局何だったのか。知らないで死ぬのは流石に悔しすぎる。この世のほとんど誰もがそれを知らないで死ぬことになるのだけれど。
こんなことを考えているけど、
別に何かがあったわけじゃない。
でも俺に何かが起こっているのかもしれない。知りたくなくて目を背けていても、いずれ俺の身体は行動している。
そしてその行動がいつも俺の期待を裏切らせる。それだけは間違いない。
やるなやるなとやってしまう。
でも、結局全部知ったことじゃない。
なんでもいいんだ。知ったことじゃない。
なんてね。