母の乳がん告知の約1年半前。
大好きだった祖母が同じく癌で亡くなった。私はじいちゃん、ばあちゃんっ子で大人になってからも月に3、4回は祖父母の家に遊びに行っていた。
ばあちゃんは優しくて、私のことを取り分け可愛がってくれていた。
私の母が、私に嫌味な事を言ってきたとしても、ばあちゃんが言い返してくれた。10倍返しで。
ばあちゃんは前々から歯が何かおかしいと言っていて、いい病院はないかと聞いて来た。
私はネットで評判の良さそうな歯科医を探して車で1時間かけて連れて行ったりもした。
そこで下された診断はドライマウス。
あの時もっとちゃんとした大きな病院で検査させておけばよかった。
ばあちゃんは生前、常にどこかしら調子が悪く、色んな病院の薬を飲みまくっていた。
今思えば体がSOSを出してたんだよね。私がもっと近くにいれば、絶対もっと大きな病院で検査させたのに。
助けてあげれなくてごめん。
町医者じゃ限界があるよ…。
歯がおかしいと言っていたばあちゃんは、その後数ヶ月で癌の告知を受け、告知から数ヶ月で亡くなってしまった。既にステージ4の末期だったんだろう。無くなる3ヶ月前には眼球が飛び出て来てしまい、右目はもう見えない状態だった。
社交的で、毎日自転車に乗って習い事をしに行ったり、農作業したり、本当にアクティブなばあちゃんだった。
そんなばあちゃんが亡くなった時は絶望し、目の前が真っ暗になった。
でも、私には産まれて間もない娘がいて、お世話に追われて自然と考えないでいれる時間が長くて。娘は私の悲しみを軽減させるためにこのタイミングで産まれて来てくれたんだと思った。
それは、私の母も祖父も同じことを思っていたに違いない。
ばあちゃんが亡くなってから、母は毎日娘に会いに来て、パワーを充電しているようだった。娘と遊んでる時は自然と笑顔になるし、癒されるが口癖だった。
また、祖父も先にばあちゃんが亡くなってしまい、無気力になったり色々周りから今後を不安視されていた。
私はじいちゃんの悲しみを軽減させてあげたくて、一日おきに娘と母を連れて遊びに行った。私のやったことは間違えてなかったと思う。
私の考えに否定的だったのは父。産まれてまだ二ヶ月そこらの子を連れまわすなと。

状況を読めないクソ親父のことはシカトし、私は通い続けた。私たち家族は父と折り合いが悪い。書きたくないくらいストレスに晒されて生きてきた。そんな父の言うことなんて私は聞かないし聞きたくもないから関わらない。それは一生かわらないと思う。
父が一人残されたって面倒みないし、孤独死でどうぞと本気で思っている。