仕事に行かなくなって


最初の1ヶ月は、のんびりのびのびすることが癒されて、体のアトピー性皮膚炎もほぼ完治して、良いことづくめだったし、それでいいって感じてた。いまは、休息しようって。


ネットのお絵描き仲間も、ちょうどお仕事をしていなくてだから昼間の話し相手がいたりして、特別な孤独感も抱かなかった。


1ヶ月が過ぎる頃、ネット仲間がお金を底ついたということで、またやりたくない仕事に復帰していった。


そのことを、おめでとう🎉㊗️などと言って喜んで応援📣してるね!なんて言ったりして、送り出した。


次の日、予測していなかった孤独感に襲われて、丸一日、寝っ転がって布団をかけて過ごした。


子どもの頃から、いつも布団の中に入ることが、自分の中で、安全、安心、を意味していた隠れ家的な居場所だった。布団を体にかけて、外から見られなければ大丈夫だって信じ込んでいた。


もっとも幼いころ、考えた居場所。

わたしはまだそこに、しがみついている。


最近、色々な場面を頭の中で巡って思考してみた。人生のどこの場面でどういう風に進んでいたら、今とは違う、別の素敵な人生を手に入れられたんだろうと。



たくさんの人と出会い、その分、別れを経験して、いまのわたしがいる。


みんなそれぞれの自分の人生を、自分のタイミングで迎えて、自分の欲しいものを手に入れて居なくなっていっただろう。 


わたしがその波に乗れなかったのは、どうしてかな。


頭で思うまでいることと、体として生きている部分のわたしが、いつも交差してる感じがする、意識の中で、もがいてる、誰にも見えない、届かないところで、そんな自分がいるってこと。そのことで強く、遺伝的な要素や、環境を鬱陶しく思ったり。


頭の中で、評価しようとして、篩にかけてしまうことを、もし、やめることが出来たら、こうやって苦しみの思考の中にわたしを落とし込もうとする、いまの自分は、少なくとも解放されるのかもしれない。


足りないところを見つめても、何かこの先あるだろうか?


自分の特性を理解して、プラスに考えること、プラスになる言葉をわたしにかけ与えること。結局、人は、自分の力で立つしかないのだ。自分ひとりの力で立ち上がり、歩き、走り、ダンスを踊る。


それが人生を生きるということ。


「自分の悪口を言わないで認めるような、応援してくれるいい言葉をかける」

「その時消えた選択肢は、必ず意味があるけれど、今しかないからこうなって良かった理由を探す」


そういう、小さな褒め言葉の力こそが、大きな影響を与える優しさや強さになるのではないか?と、わたしは改めて思った。


小さな恐怖をいくつも乗り越えた先に、人生の終わりは輝かしい光の扉であることを、わたしは信じよう✨✨


そんな決意をしました。^^