今日は晴れ🌤ましたね! 良かった、良かった照れ

洗濯物Tシャツを外に干せました❣

 

さて現在、池上俊一著『魔女狩りのヨーロッパ史』📖を読んでいる最中です。

読んでいるうちに、今更(いまさら)ながらに気づいたのですが、

映画映画『オーメン・ザ・ファースト』と

『サスペリア』(昔のイタリアのホラー映画です)の両映画カチンコとも、

魔女の集会「サバト」がイメージとしてあるのではないかと思ったことです。

 

・儀礼的な場所に魔女である女性👩や、中には男性👨も集まっていること。

・悪魔が魔女と交わること。魔女にとって悪魔との交わりには快楽が全くなく、苦痛

 そのものであるが、快楽を伴っているふりをしなければならない。

 (悪魔は淫乱で、そうすることで魔女は悪魔と契約を結ぶことになる)

・魔女である印が、身体のどこかにあること。

・女性は邪悪(じゃあく)である。それがため、魔女は女性に多い。

・悪魔は雄山羊🐐の姿をしていること。

 

素人(しろうと)なりに感じた共通点が以上のような事柄(ことがら)です。

正しいか間違っているかは分かりません。あくまでも私見なので。

ともかく、私が考えたのは

「魔女狩り」はキリスト教✙の女性嫌悪(けんお)・蔑視(べっし)から来たもので

(まあ、どんな宗教も基本的には女性を蔑視してますよね。

イスラム教も然-しか-り、仏教も然り。

現在の仏教はそうではありませんが、

昔の仏教では、女性は救われない存在として考えられていましたよね)、

女性嫌悪・蔑視が根底にあると、その本には書いていたように思います。

また、人々の悪意👿による密告が犠牲者を産み出していくという、

恐ろしい仕組み、それも怖いガーン っていうか、それが一番怖いかもゲッソリ

(現在でも密告を奨励している国はありますよね。ロシアとか中国中国とかetc.etc.)

そういう魔女のイメージが現代まで続いていて、西欧の人々が共有している、

そのイメージで魔女に関するホラー映画まで作られているのですから、

嫌悪や蔑視から生まれる差別のイメージ意識というのは

なかなかなくならないものなのだな、と感じました。

 

翻(ひるがえ)って我が国日本を見てみると、

被差別部落の人やアイヌ民族や朝鮮半島韓国の人々に対する蔑視や差別意識

(時には、沖縄🏝の人々に対する差別も垣間-かいま-見られるような気がします。

沖縄の島を自衛隊が守ってやっているのだ、という上から目線)が、

未(いま)だに存在し、ネット内では細菌🦠のようにはびこりウヨウヨしています。

(世界地球規模でみるならば、ユダヤ民族に対する差別意識も未だに存在しています)

 

してみると、差別意識と言うのは、

それほど簡単には無くならないものだ思われます。

であるならば、

私たちは蔑視から生まれる差別意識に関しての

ヘイトスピーチやヘイトクライムに敏感になり、

自分がその中の一人にならないよう、

常に自分自身を律していかねばならないと考えるのです。

 

何せ差別意識というのは、

その人間の心の闇を反映して表に出てくるものですからね。

自分の心の中の闇、悪意がひょっと表に現れて、

自分自身が本当の悪魔や鬼にならないように

一人ひとりが気をつけなければなりませんね。

 

というわけで、『魔女狩りのヨーロッパ史』📗を読んで、

いろいろと考えさせられた私なのでした。