今日は曇り☁ 台風🌀7号はまだ石川県の能登半島辺りにいるらしい。

 

さて、昨日は終戦記念日だった。

昨日は友達と会う約束があり、有楽町へ行った。

街では人々が闊歩(かっぽ)し、レストラン🍴で食事をし、カフェでお茶☕をし、

賑(にぎ)やかに会話を楽しんでいた。

普段と変わらぬ人々の姿があった。

 

今日の新聞では、昨日の靖国神社⛩や戦没者追悼式の様子が報じられていた。

靖国神社では、旧日本軍の軍服を身に着けた人たちが参拝していたそうである。

(その姿が写真で掲載されていた。酔狂-すいきょう-にもほどがある)

どういう意図があって、そんな恰好(かっこう)をしたのか分からない。

みすぼらしい旧日本軍の軍服を着て、胸を張って写真に写っているその人たちを、

1945年春頃の南方戦線へそっくりそのまま送り込みたいものである。

 

さてさて、残念ながら、50代以上のおじさん👴おばさん👵たちは、

例え今、この日本🗾に戦争が起きたとしても、

もう自分たちには関係ないと思っているに違いない。

彼ら彼女たちは、自分の残された人生を、

どう楽しく生きていくかにしか興味がない人が大半だろうと思う。

世の中の動きなどに大して関心はなく、

戦争についても、これと言って何の意見も考えもない人が大部分だろう。

昨日、友達と会話をしながら、私はそう感じた。

 

若い人たちに、私が伝えたいのは、

おじさんやおばさんたちを当てにしたり、

頼ったりしてはいけないということである。

もちろん、中には頼りがいのある年配の人たちもいることだろう。

でも多分、そんな人たちは僅(わずか)かだろう。

若い人たちが、自分たちの幸せを守り育てていくためには、

若い人たちが、自らの手でそれを成し遂(と)げていくしかない。

既得権益(きとくけんえき)を手放したくない年配者は、

何だかんだと理屈をこねくり回して、若い人々を言いくるめ、

自分たちの思う通りの流れを作っていこうとするだろう。

――負けないで頑張ってもらいたい。

それはすべて、誰のためでもない、

あなた方自分自身のため、あなた方自身の未来のためでもある。

 

私が社会人になった頃、バブル💰が崩壊して、

日本日本は長い低迷期に入り、そこから抜け出せずに今に至る。

現在、日本の防衛予算は膨(ふく)らみ、

今年、武器売買のための見本市が日本で行われた。

(毎年、それが日本で行われていたのかは知らない)

戦争の後方支援のために武器を生産して外国に売り出せば、

朝鮮特需(1950年に勃発-ぼっぱつ-した朝鮮戦争を行う米軍アメリカ

後方支援のために行った経済活動のために、日本の景気は潤-うるお-った。

そのことを指す)の時のように、

日本の経済も活性化すると政府は考えているのではないか、

と私は穿(うが)った見方をしている。

 

若い人たちよ、己の幸せは誰かに与えられるものではない。

自分でつかみ取り、育て、守るものなのだ。

そうしてこそ初めて、幸せのありがたみを知ることができると思う。

 

私と同世代の人々は日々の生活に埋没し、将来について考える余裕

(老後に年金がいくら貰えるかは、確かに大事な問題ではあるのだが、

それは社会の動きや流れと紙一重なのだということには

考えが至っていないように見受けられる)がないようだ。

その事実は残念で、悲しいショボーンことである。