今日の体温36.55。下がりましたダウン

茶オリもありますー。昨日はショックだったけど、気持ちは次の周期へヒヨコ

昨日義理の父のことで悩んでいたのもあって、
昔よく読んでいた江原啓之の「スピリチュアル・ジャッジ」という本を読みました。


その中で、親になるというのはどういうことか?と書いてあったのですが、
「子どもがほしい」という気持ちがどんな動機にもどづくものかが、大切だということです。

他人との比較や、みんなまわりの友達は子どもがいるのに、
わたしだけ・・という世間体を気にする気持ちが「小我」らしいのです。

どんな子どもでも、愛せる母性があるということ、
本当に子ども(自分の生んだ子でなくても)に愛を注いで育てたい、
子どもと一緒に自分も成長してきたいという気持ちが、
自分に執着しない「大我」の心があるということらしいのですキラキラ

江原さんいわく、子どもがなかなか授からない、その継続と努力も、
その人にとって必要な学びらしいのです。

だからよく、治療をやめたらすぐにできたっていう人もよく聞きますが、
そういう「小我」の心、自分への執着がなくなった、
学びが終わってというときだったってことなのかな?と思いました星

わたし自身を振り返ると、子どもがほしいのは、
旦那さんの子どもを産みたい、愛したい、家族を作りたい、
子どもと共に成長していきたいっていう気持ちはあります。
本能的な部分もあるのかも。

でも、世間体を気にしているのは、あるかもしれません。

実際、旦那さんの親戚は一人3~5人は子どもがいて、どんどんできるみたいなんです。
お正月など、子どものいないわたしはポツーンと、おじさんたちに混ざって、ご飯を食べたりしています。
子どもがいるお嫁さんはさっさと席を離れ、子守ですっごく忙しそうで。
手持ちぶさたなわたしは、わたしも早く子どもがほしいなぁ、いいなぁなんて思ってしまいます。

お正月など親戚の集まりにいくと、わたしも子どもがほしいなって強く思ってしまいます。
街で子どもを連れたお母さんを見かけたとき、お腹の大きな人がいたとき、
いいなぁって思ってしまいますお月様

でも、江原さんでいうと、それは「小我」らしいです。
子どもをモノとして考えている物質的価値観らしいです。

人間で欲があったら、そういう気持ち、生まれてきてしまうものと思うけど、
わたしにその「小我」の心がなくなったとき、無意識になったとき、
そのときが授かりどきなのかなとも思ったりしましたひらめき電球

もちろん医学的なこともあると思うので、ホルモン治療もしますビックリマーク

でも意外と精神世界って現実を大きく変える力があるので、
ちょっと意識してみようかなと思いましたヒマワリ