気づいたら、
娘と

一時間近く電話で話しをしていました。

彼女が小学校6年生の時、離婚をして以来、
娘がどれ程の

淋しさを味わったのか?

苦い涙を零したのか?

それを思うと、
今でも胸が張り裂けそうになります。

反抗期に差し掛かり、
家を飛び出し、
大学の近くで生活を始めて半年。

ひやひやするは、
周りの人間だけなのか?

娘は、
きちんと、
自分なりの意見を持ち、

これからの人生設計を構築していることが伺え、

少しだけ
ほっとしました。

少し前は、
「お母さんに、あたしの何がわかるのよ!?
そんな感覚でしたが、

今夜は、
ゆっくり、
建設的な話しをすることが出来たことが
何より嬉しかったです。

桜が満開の季節になると、
小さな娘の手を取って、
桜の絨毯の上を歩いたことを思い出します。

生後三ヶ月頃から、
毎日絵本の読み聞かせをしたことや、

商店を、一件一件歩いて買い物をしたことなどが、
まるで
昨日のことの様。

娘も、
それを
ちゃあんと覚えていて、

今夜は、
そんな思い出を語り合いました。

暫く、一人になって、
冷静に考える時間が、
彼女を成長させてくれた様です。

これから
お母さんが
あなたに出来ることを、
しっかり汲み取って欲しいの。

過去は戻せないし、
出来なかったことも沢山あったかもしれないけど、
これから
一緒に出来ることも
沢山あると思うんだ…
と、
私の素直な思いを話すと、
娘は耳を傾け、

うん、
そうだね。
って、

微笑んでいるのが
電話の向こうから伝わって、
胸が熱くなりました。

今回の地震からも、
学ぶことが多いね…と
娘なりに
様々を
自分なりに考え、
実行していること、

母として、
陰ながら応援しています。
お母さんは、
いつも、

一歩引いて、
子供の成長を見守ることしか出来ません。

冷や冷やする場面でも、
直ぐに手を差し延べるのではなく、

手段に息詰まったり、
途方に暮れたり、
危険が迫ったその時に、

始めて、
全身全霊で
守る。
それは
あの子が生まれた時から、
変わらないスタイルです。
時には、
他愛のない会話をし、
その中から、
娘の成長を感じることも沢山あります。

人間だから、

お母さんも
至らないことが一杯あるでしょう。

お母さんは、

命を宿したその日から、

我が子と共に生き、
共に成長すれば良いのではないかなと、

娘が19歳を迎えた
春の夜、

静かに、

そんなことを
思いあぐねています。