来し方を暫し振り返ってみる。 | 猫と病気と頭ン中と。

猫と病気と頭ン中と。

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猫、病気の事、日々の出来事などなど。

昨日、現在就職活動中だと書きましたが、ついでに、今の自分の状況を整理してみたいと思います。
ちょっと長くなっちゃうけれど、気になった方は良かったらお付き合い下さいませ。



私は、現在うつ病で通院加療中ですが、病院へ行って病気が発覚したのはもう7年以上前です。
原因は不明ですが、今になって考えてみると、
仕事や親、友人に対して、色々な面で『いい人』『いい子』の仮面を長い事被り続けた結果なのでは、と、思います。

病院に行く前に既にそうなのではと疑っていた私は、病名を確定される前にネットや本でうつについて自己診断(設問に何個当て嵌まれば病院へ行った方がいいかなど)や良くなるまでどのくらいかかるかなど色々と調べていたので、
診断された時はこんなにも死にたい(実際線路に飛び込みそうになってはっとした)のはうつのせいだと知って、ほっとしたくらいでした。
しかし、人によっては寛解するまでに何年もかかる場合もある、とも知った私は、
職場の上司に病名を告げ、「クビにしてください」と申し出ました。
上司の返事は、「いいから兎に角休みなさい」でした。
2年間までは休める、傷病手当も出るから、との事でした。

取り敢えず、どうしようもなかった私は申し出を有難く受け、休職しました。
休んでみると、ほっとしつつも心の底でホントに病気なのかとちょっと疑っていた(だって、死にたいし辛いけれど仕事は何とか出来ていたんです)私は、こういうことかと思い知らされました。
医師には、このまま仕事続けたら、ミスだらけになる、いいから休みなさいって言われたんです。休んでみたら分かるから、と。
すると、案の定寝込んでしまい、全く起き上がれないようになってしまいました。
その間3か月。
合う薬を試しつつ、その後は具合が良くなったり悪くなったりを繰り返しながら療養して、
結局復職可と診断されたのは休職して10か月経ってからでした。
その間の事は、そんなに寝込んで一人でどうやって暮らしていたのかとか、
殆ど記憶がありません。

ともあれ、復職しました。
職場は都内近郊に何か所か支店があるのですが、
休職前に行っていた場所とは違う所に、少しゆったりしたシフトで入れて貰う事になりました。
フルで働いていたのが、週3~4日位から、時間も短くして、といった感じで。
慣らしで戻るって事だったので最初はそれで良かったんですが、
新人が居つかず慢性人手不足のその支店の長は、私がベテランだというので私のシフトを増やしがちになりました。
「もっとシフト入って欲しいんだけど大丈夫?」
「正直分かりません、でもやめといた方が無難だと思います」
ってやり取りをした挙句結局増やされ、断れず働いていたら、具合が悪くなりドクターストップがかかり、また2か月程休む羽目になってしまいました。
この間は、傷病手当なし。
休んでまた同じ支店に戻りましたが、相変わらず人手不足なまま。
でも、今度は出勤を無理強いされる事はありませんでした。

しかし、そうやって段々出勤を増やしつつ、通院も続けつつ病気と付き合っていて、
自分でもうつについての本を読んだりしていて知ったのは、
先に『寛解』と書いたように、この病気には完治する、という事がないらしい、って事です。
良くはなり、楽にはなっても、病気になる前の自分と全く同じ状態には戻れない。
なので、『寛解』。因みに、うつは再発率がとても高い病気だというのもこの頃知りました。

途中で支店から本店に異動になり、慣らし勤務のまま1年ちょっと仕事した私は、
社員からアルバイトに格下げになりました。
これは私が望んだ事でもあったので不足はありませんでした。
身体の為に楽な時間で仕事をさせてもらっておいて、社員分の給料を時給換算していただいているのは却って辛かったから、人事考課の度に上司に自分からそう言っていたんです。
暮らしはきつくなったけれど、気持ちは楽になりました。

そうして何とか週4日フルタイム・水曜のみ半日、で慣れて来て、そろそろ週5日フルでもいけるかと思う位良くなってきた頃、
ある出来事があって私は一気に体調が悪くなりました。
(それについて書くとまた長くなってしまうので、ここでは省きます)
事情があって病院には数か月前から行かなくなっていたのですが、
この時は違う処を探してでも病院に掛からなくてはと思いました。
実際、休みを貰って病院に掛かってみると、最初に病院に掛かった時よりずっと悪く、強く入院を勧められた程でした。
アルバイトに戻っていて貧乏だったので、「絶対死にませんから」と言って断りましたが、
自分で言った事を実行するには、歯を食いしばって耐えなければいけませんでした。

また、お休みです。
バイト扱いだし、今度こそ辞めるんだな、と思いました。
しかし、休みの上司に代わって報告・相談した会社の総務の方が休職扱いにしてくれ、傷病手当の手続きもしてくれました。
今度は一度通院しなくなっていたので、傷病手当が出るという事でした。
2012年、11月初旬の事です。

最初の休職の時の様に、1か月、若しくは3か月単位で医師に診断書を書いてもらい、
その度に職場にそれを提出して休職時期を延ばしました。
それに伴って、1年単位だったアルバイト契約を3か月単位になおして更新してもらいました。
そして、明けて2013年3月、本社で大幅な人事異動があったとの事で、
私の契約も見直されることとなりました。
総務の方によると、延ばし延ばしになっていつ戻れるか分からない、
だから戻れると分かったらその時どうするか考えよう、と言うことでした。
急がなくていいから、ゆっくり治して下さいね。そう言われました。

私は、死にたい気持ちと毎日戦って、もう精魂尽き果てていました。
入院する代わりに母に助けに来て貰ったり、
生きて行く支えになればとペット不可のアパートを出て引っ越し、
猫と暮らすことを決めたりと色々足掻きました。
お蔭で大分良くなり、遂に今年の5月末、復職可の診断を医師からいただきました。
気が付くと、もう1年半以上休職し、傷病手当は貰えるだけ貰った後でした。

すぐに職場に連絡しました。最初は喜んでくれ、
いつごろから戻れるか、どんなシフトなら無理なく働けるか訊いてくれたので返事しましたが、
いざ上司と直接面談すると言う段になって、総務の方から連絡が来ました。
曰く、
以前も言ったように、みみこさんが休んでいる間に新体制になった。取締役が交代したりもしている。そこで契約を一旦保留にしたので、現在みみこさんは在籍していない事になる。申し訳ないが、他の方と同じように、新たに応募してくれないか、
と。
これは、チャンスをくれたようでいて、拒絶しているのでした。
私は質問された事に、医師に以前復職した時と同じように最初は慣らし勤務で、と勧められたと答えているんだし、それには応えられないから応募しろ、って事ですよね。
勿論職場ではそんな募集はかけていません。
応募しようにも、出来ないじゃないですか。

そうして、私は14年在籍した会社を去らざるを得なくなったのでした。
6月は、折角良くなってきていたのに、また具合が悪くなって寝込んだりしていました。

で、6月末になって、漸く退職届が郵送されてきました。
これは、三行半を突き付けられた時が既に6月に入っていた為、
総務の方に「今月一杯は保険などはこちらでやらせていただきますから」と言われた結果、
マイナスの給与明細(毎月その分振り込んでいた)が出る時期に合わせた所為と思われました。
勿論、そこに書かれていた退職日は『平成25年3月31日』です。
退職理由は、『一身上の都合』と指示されていました。
離職票は、勿論『必要』にマルをしました。

返送して、更に離職票が送付されてきたのは、7月も10日になってからでした。



と、いう訳で、私は今、ハローワークなどに行って過ごしています。
昨日は、初の失業保険認定日だったのでした。
うつでお世話になっていた会社の産業医さんに連絡して(直通電話の番号を教えてもらっていた)、職業訓練の事などを教えてもらっていたので、窓口でその相談もしてきました。

因みに、退職日と離職票の発行日が1年以上ずれているという事で離職票にはその辺の事が書いてあり(病気のためとかなんとか)、給付日数は360日となっています。これ、最長なんですよね。
勿論、それに甘える気はさらさらありませんが、
なんたって履歴書に書ける資格が普通運転免許(しかもペーパードライバー)しかない、
ので、可能なら職業訓練受けてみようかとも思い、現在入学願書を提出中です。


ここまで読んで下さった方、長々とお付き合い下さいましてどうもありがとうございました。

私にとっては、ここからが長い長い日々の始まりなんであります。




☆ おまけ ・ 今日の猫 ☆ こんなんずっと書いていたら、猫が抗議して度々邪魔するので更に進まない。
ディフェンスしても、猫のほうがうわ手なんでした。




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