セールスコピーライターとして生きていく

セールスコピーライターとして生きていく

プロのコピーライターとして、セールスレターを書き、著名人や経営者の取材に跳びまわる日々。
これは、本気でコピーライティングを学びたい人、どんな困難も乗り越えて自立したい女医のためのブログ。

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ライターの多くが、「活字中毒」というのはよく聞く話ですが、私もご他聞に漏れず

活字中毒です。

私の活字中毒は、既に幼少時代から始まっていました。

 

私は子供の頃、かなり田舎に住んでおり、近所にある本屋は「ぼろみ堂」(本当はかすみ堂ですが、みんなそう呼んでいました。)という本屋1件だけでした。

雑誌とコミック、児童書、文庫本が少し置いてあるだけの小さなお店でしたが、月に1回、母が連れていってくれて、世界の名作童話集を1冊だけ買ってもらえました。

 

その本を、繰り返し、ボロボロになるまで読み込みました。

 

幼稚園に入ってからは、みんなが私に近づけないように、机でバリケードを作り、その中で本を読んでいたため、先生にはよく怒られました。

 

友達と遊ぶことは一切興味がなく、家に帰っても、ピアノを弾くか、本を読むか。

 

自転車で片道20分かけて公民館に行き、妹の分の図書カードを使って

一人10冊×3人分計30冊を借りて、家に帰る。

 

水曜日になれば、移動図書館のマイクロバスが近所にくるので、そこでも30冊借りて

家に持ち帰る。

 

バスに乗って県立図書館に行き、30冊、

隣の市立図書館に行ってさらに30冊借りてくる…とかなりの変人ぶりを発揮しており、

近所でも有名でした。

 

ザーッと斜め読みをするわけではなく、

気に入ったフレーズは、繰り返し読み、

誰も読みもしないのに、読書感想文を一人で書いたりしていました。

 

小学校の3年生の時、母が定期的に「Newton」という科学雑誌と偉人の伝記の定期配本を申し込んだことから、

 

さらに私の読書熱はあがりました。

「宮沢賢治」「ファーブル」「ヘレンケラー」「牧野富太郎」…と、配本の順番まで

未だに覚えています。

 

私の家には大きな書庫があり、壁は天井まで本棚で、

あらゆる分野の本が並んでいました。

私は、そこに梯子をかけて登っては、好きな本を読んでいました。

 

一番上の棚には、「パルムの僧院」「月と六ペンス」など

海外文学作品が並び、その下には「源氏物語」。

父が国文学を研究していたため、

小学生の頃から古典の世界にひたっていました。

 

私の家のルールは「漫画禁止」でした。

今でこそ、漫画は日本の文化でもあり、いいものもたくさんあることを知っていますが、

当時は、「絶対に読んではいけないもの」と思っていたため、

漫画にはアレルギーがあり、大人になった今でも、書店の「漫画コーナー」の前を通ることに抵抗があります。