本日、4月26日21:16に、
月は牡牛座で新月を迎えます。

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牡牛座の新月に向けて、
わたしが想いを寄せた今日のことば。

理想の先へ

これは、
今をときめく羽生結弦選手が、
先日、世界国別対抗戦の後の
テレ朝系「サンデーステーション」で
平昌五輪イヤーを迎える来季への言葉として
掲げたことば。

本ブログのサブタイトルにも、
大変恐縮ながら入れさせていただきました照れ


さすがは、
世界ランキング一位を保持する方の
ことばにふさわしく、
非常に、すばらしく、奥深いグッ

だが、
手放しですばらしいと思った次の瞬間、
え?待てよ。
このことば、
理想に限りなく近い羽生選手だからこそ
言えて成せることば。
わたしは...
と赤面してしまいました...アセアセ

さてさて、
そもそも、
「理想」とは
どんな意味があると思いますか?

辞書には、
  1.  人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態。
  1.  理性によって考えうる最も完全な状態。また、実現したいと願う最善の目標あるいは状態
(※goo辞書より)

とあります。

ということは、
わたしが、
毎月新月に想いをよせて書き綴る「願い」
これらも、
「理想」の一つになるのでしょうか。



羽生選手のお話を聞いていると、
「理想 ≒ 限界 」
と捉えられているようでした。

これは、わたしにとっては、
非常に意外であり、
目からウロコ状態でした。

だって、夢見る理想ですよ、
完璧な最善の状態ですよ、
手に入れることは、
なかなか難しい、
手に届かない
果てしなく遠いところにあるもの...
と思ってましたから。


確かに、
想いを理(おさ)めると読めば、
自分が想い描くことのおさまるところ、
つまり、限界、と読めますね。

そもそも、
自分が想うこと自体に
理も働いて、
限界がある...


でも、
羽生選手は、番組で、
「限界を作ってもいいと思う」
と言い切りました。

「ただその限界は、
自分で作れるのであれば、
決まったところではなくて、
もっと先のところに限界を作ればいい」
という条件つきで。


自分の限界を超えたところに
意識的に限界を作る

もしくは、

射程範囲内のゴールの先に
本当のゴールを作る

とわたしには聞こえました。



人間の意識のうち、
自分で分かる顕在意識は、
ある説によると、5%未満とも言われ、
無意識(潜在意識)がほとんどを占めています。

限られた顕在意識を使って考える理想は、
自分の無限大の可能性に
限界を作ってしまっているかもしれない...



わたしは、
一年前の牡牛座新月のデクラレーションを
読み直してみました。

手に入れたいこと、
そのために、手放すこと、
書き綴ってはいるものの、
意識の限界を超えられていない。
もっと前に出ようとする力、というのか、
意気込み、というのか、
ほとばしるなにか、というのか、
とにかく、羽生選手のことばのように、
どくどくと流れ出す勢いが、
残念ながら、全く感じられない。
だから、願いが願いに終わっている...

自分が想い描く理想に、
焦点見据えて、
一歩一歩歩む姿勢は大事だ。
ただ、その理想が
無意識(潜在意識)までもを意識した
理想の先にあるものでなければ
血の通った理想にはならないし、
わたしとは関係の薄い
遠い彼方のものになって
それに向かって歩むことすらままならない。


今日は、
意識と無意識が
重なり、出会うポイント、新月。

牡牛座の新月さまは、
私たちが
確固たる揺るぎない価値観を
自分のこころの中に築くことを
助けてくれます。

その揺るがないこころの眼が
自分の中にできることで、
理想の先にあるものを
直感的に見つけられるでしょう。

その理想の先にあるものは、
その芯こそ不動であれども、
常に上に向かって変動ていくかもしれず、
「これ」とか「ここ」とは
限定できない。

牡牛座の新月は、
私たちが、
常に変動するそのものに
浮かれたり、
惑わされることなく、
地に足をつけて、
「それ」に一歩一歩近づくために、
必要なことを一つ一つ見つけ、
一つ一つこなして、
一段ずつ確実に階段を昇っていく
そんなたくましい粘り力を
きっと与えてくれるはず。

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今日の牡牛座新月では、
わたしの中の意識の太陽で、
わたしの無意識を照らして、
理想の先にあるものを想いながら、
新月の願いを書き綴り、
牡牛座の新月さまからの恵みを
しっかりと受け取りに行きますウインク


Happy New Moonキラキラ
有意義な牡牛座新月をお過ごしください。