最近、実家の将来のことを心配したり、
自分の人生をふり返って、あれこれ思うところがあり
ちょっと元気がない弟とのやりとり。。。。。。。。。。。
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Nちゃん
>自分も、あまりに何も決めないで生きてきてしまったなー、と思っているところ。
そう思うのが、Nちゃんにとっては今のタイミングがいいから、
そうなったんでしょう。
別に悪いことではない。
40歳で出産してみると、それを言ったらキリがないことばっかりだよ。
でもね、それは結果論なんだよね。
今の意識で過去を見るのは、これまで一生懸命生きてきた自分に
フェアじゃないと思う。
「そのとき」の自分は、そのときの知恵で最善を選んでいたんだから、
過去の体験で賢くなった今の自分が、
その頑張ってたこれまでの自分の真摯さを、低く評価するのはかわいそう。
少なくともこの2,3年のあいだNちゃんは自分のことを置いておいて
お母さんのために、できることすべてをやったという、
子育てと同じくらい大変なことをやってのけた自分を
まずねぎらって、いたわって
「ご苦労様だったね、よく最後までがんばってくれたね」という感謝の気持ち、
子供として親孝行の極みである「看取る」ことを
成し遂げた誇りと自信をもって、受け入れてあげてほしいかな。
「あれもやらなかった、これもやれなかった」
というような喪失感の方を大きく感じているんだろうけど、
それは同じコインの表裏で「その代わりあれもやった、
これもやってた」という事実でもあるんだよね。
何も表立った進展や、成果があらわれていないような
暗い時こそ、実は地中で何かが大きく根を張って育っていて
それがある時、急に花開くんだと思う。
ゆきのさんが「もう降参!惨敗!」ってギブアップしたときに
花火が上がる、と言うか、祝杯があがる、って言ってたけど
あれも本当だよ。
わたしも自己否定が地の底まで行ってしまって、
もうそれ以上、下がないところまで見てきた後
少しずつ運命が開けていった。
だから今、自己否定になったり
思い切り落ち込んでおくのも、いいと思う。
自分のいい所も、功績も全く評価しないで
自分の欠点ばかり洗い出して、とことん自分をくさして
奈落の底を見てくるのも悪くない。
それも本当の光を体験するのに必要なプロセスだから、
そうしたかったら容赦なくやってもいい。
そうやって、今、自分は後悔したり
責めたりしたいんだな、すきにやらせてあげよう
と見守ってあげればいいと思うし、
気になるセミナーなどがあったら、顔を出すようにしたら
いいんじゃないかな。
救いが全くないような、いいこと全然ないみたいな時が、
実は魂にとっては、ものすごい成長のチャンスだったりする。
この期間をグチを言いながら、やさぐれながら
なんとか乗り切った人が、日の目を見るチャンスを必ずつかむ。
そこであきらめて、留まるのもその人の自由。
でもどんなに奈落の底に突き落とされても、
神様と恩寵を信じている人間を
神様は絶対に見捨てないよ。
「信じるの、もうムリです」っていうギリギリのところまで
試されることもある。
こんな目にあってて、とても神様が自分のことを
見ててくれてるとは思えない、っていうときでも
手を出さずにじっと見守ってくれてる。
私もこんなに待って、やっと妊娠して
「やっぱり神様はいるんだ、私の事忘れてなかったんだ」
って喜んでたら、流産しちゃったでしょう。
その時の絶望と怒りと悲しみ、恨みはすごかったけど
それはそれで発散して味わって、
その後また立ち直って、やっぱりまた信じてがんばったら
すぐにマットが来たんだよね。
今でもマットを見ると、ああ生きててよかったな
ってしみじみ思うよ。何度も「生きてるより
死んだほうが楽だ」と思ったから。
高田(延彦)さんのところも子供のことで
さんざん苦労したけど、今幸せになってる。
でもそれは血を吐くような思いを乗り越えて
勝ち取ったものだよ。
だから今、Nちゃんが救いがないような
状況になってても、それ自体は直ちゃんのせいじゃない。
将来すごい栄光が手に入る切符を渡されたようなもので
今をどう乗り切っていくかで、手に入れる時期も早まるし
栄光の大きさも決まる。
ある意味、将来の幸せが確実になった
サインでもあるんじゃないかな。
世の中には一生ぬるま湯の、ぼんやりした幸せしか
知らない人もいれば、直ちゃんのように絶望の後に
栄光を味わう人もいる。
それは個性で、いつかどこかでNちゃんが
望んだことでもあるから、きっとうまくいくんだよ。
だから周りがなんと言っても、Nちゃんは
これでちゃんと予定どおりに、栄光に向かっている
途中なんだよ。
心配いらない。
私たちにはお母さんがついているから。