音速の貴公子~♪ | とろみの部屋

とろみの部屋

オリジナルアクセサリー・MIMICのファッション通信!

    アイルトン・セナ・ダ・シルバ
1960-1994 5月1日 ブラジル人。
レーシングドライバー。
今日は大好きなF1で、かつてサーキットを沸かせ、世界中で
セナブームを巻き起こした伝説のレーサーを紹介します

セナは、ブラジルの裕福な家庭に生まれ、4歳の時に、
レーシングカートを与えられ、その才能を開花させた
レーシングドライバーです端正で甘いマスクのセナ
は、世界中の人に魅力を振りまいてましたー


1984年にトールマンからF1デビューを果たし、その後、チームとの移籍問題がいろいろありましが、ロータスに
移籍をし、1987年には念願のホンダエンジンを獲得し
て、日本人ドライバー中嶋悟のチームメイトとして活躍
しましたー


1988年、マクラーレンに移籍したセナは、チームメイトの
アラン・プロストとチームメイト同士でありながら、ライバル
として数々のバトルを繰り広げましたセナの乗ってた赤
と白のマシンはとても鮮やかで、素晴らしいパフォーマンス
を私達に見せてくれましたー(‐^▽^‐)


鈴鹿サーキットでのセナ 日本のファン達もセナの走りに酔いしれましたー
2003年に、タグホイヤーから限定販売された時計アイルトン・セナ リンク オートマチック クロノグラフ
セナの人気は絶大なるものがあったので、本、雑誌、DVD
など、彼の死後いろんな形で表現されました

世界中に日本の車のエンジンの素晴らしさを伝えた、
ホンダ(本田技研工業株式会社)の創業者、本田宗一郎
とのツーショット町工場から始まったホンダを世界の
ホンダ、日本の技術の素晴らしさを広めた本田宗一郎
は、人間的にもユニークで個性的な人でしたレースを
離れた二人は、おじいちゃんと孫のような優しく微笑まし
表情をしてるとても良い一枚です

1994年、5月1日、アイルトン・セナ
イモラサーキット
で、時速312kmで走行中にコースアウトをして、
コンクリートウォールに激突して、マシン、FW16は
大破し、事故発生から4時間後に、34歳の若さでこ
の世を去りました(T_T) 早すぎた死は、母国ブラジル
だけではなく、世界中の人が悲しみ、サッカー選手の
ペレやジーコと同じようにブラジルの英雄と称えられ、
国葬となりましたー。その当時は、F1から撤退してた
ホンダは、セナとの関係もすでにありませんでしたが、
ホンダも青山一丁目の本田本社ビルに日の丸、ブラジル
国旗を掲げ、1Fのショールームでセナのヘルメットを展示
したり、記帳を受け付けたりと日本のファンの為にと出来る
ことをしてましたあれから18年経ちますが、セナの後を
引き継いだ素晴らしいドライバーのシューマッハもF1の
魅力を伝え、そして今はまた世代も変わり、ヴェッテルや
ハミルトンが沢山の人に夢を与えてくれてますそんな
F1が私は今でも大好きです(*^ー^)ノ

ハードロック音楽はよく知らないのですが、今回はスピード
感溢れる、ディーパープルの『ハイウェイスター』のBGMで
お届けしましたー♪