わしの目指す世にそなたは欠かせず、そなたの目指す世にわしは欠かせぬ。
ともに昇ろうぞ、誰も見たことのない高みへと
この上なき誉れにて…
いやあ、またしても後白河法皇と平清盛の台詞にゾクゾクしましたなあ。
いつぞやの感想のように、果てしなく燃える関係性。
しかし二人を結びつける滋子が急逝したことによって、早くも(史実では長らく続いた蜜月関係に思えましたが…)二人の関係は崩れ去ってしまうのですね。
ドラマでも後白河院五十の宴からいきなり滋子の訃報だったので、たいそう驚きました。法皇さまと清盛を取り持ったり、西光と成親に平家への不満をたしなめたり、法皇さまとの仲むつまじい様子が再度描かれたりと、予兆はこれでもかとあったのですが、それでも突然すぎる死でありました。あまりにも突然で気持ちが追いつかない…
そして予告のあのシーンは、亡き滋子にお別れの酒を捧げる場面だったのでございますね…。想像の斜め上でございました。
想像の斜め上といえば、本日初めて?登場した『梁塵秘抄』。
大輪田泊を完成させた清盛に対して敗北感を感じる後白河院は、ひたすら今様をしたためる。大輪田泊と違って後世には残らないが、心を慰めてくれる今様が好きなのだと。そして、そんな後白河院を受けとめ、後押しする滋子。まさにタイトルの「はかなき歌」のとおりではありますが、きちんと現代に至るまで見事に残されておりますよ、法皇さま! もちろん、法皇さまが形にされたから残っているわけでありますが、ときに芸術は世の役にたち、後世に伝わっていく、かけがえのないものでもあると改めて思い知らされました。
そして梁塵秘抄の作成過程を清盛と対峙させてこのように描くとは成る程、と思わされました。
兎丸の死で少し見えた清盛の感情がまたも雲隠れしてしまった回でもありました。法皇さまにともに高みを目指そうと言われても、王家とのパイプ役だった滋子の死に際しても、まったく感情が見えてこない。かつての信西入道を思わせる西光の相撲節会協力の要請も無下なる言葉で退けたり、これはこの先起こる事件への繋がりや、野望に向け周りが見えなくなっているという様子を表したいのか。晩年の史実通りの清盛像としては歓迎するところではありますが、果たしてこの先はどうなりますか。政子の頼朝への説教のように偽善的な描写はご遠慮したいですからね。
それにしても、先週の予告から後白河院の歌が頭から離れない。
なんというよいお声なのでしょう。まさに酔いしれました。
また、滋子とのシーンがいちいち美しすぎて…!
歌を聞かせる場面も、花を敷きつめた寝所の場面も、枕元のお別れの場面も、どれも絵になる美しさでございました。
そして、したためた紙が舞う中涙を流す場面は、讃岐で息子の死を知った崇徳院とかぶる描写でもありました。歌声と月明かりの青白い光りが美しくて、悲しい場面なのに印象的な場面でございました。
まだまだ後白河さまのお歌が頭から離れません。
そういえば今回、♪遊びをせんとや~…は流れたのでしょうか? 先週久しぶりに聞いたような気がしたのですが、今回の後白河さまの歌と同じく頭の中を駆け巡っています。まさに今様あっての今回の大河ドラマだと思いました。
そして、第三部から予告編導入部分も琵琶から鈴の音に変更されたとのことですが、あのシャラン…という音がいよいよ諸行無常の始まりといったかんじで、とてもよいです。
思えば平安時代には源氏物語のような煌びやかなイメージと、陰陽師のような薄暗い不気味なイメージと、相反する二つのイメージがあることに気づいたのですが、この琵琶のベベンという音や、シャランという鈴の音、そしてこの大河ドラマの世界自体が後者の薄暗い不気味なイメージそのものなんですよね。親王時代の雅仁さまや、時折出てくる舞いなどの場面に前者の煌びやかなイメージも垣間見れたのは嬉しいことですが、全体的に薄暗いイメージのこの大河の世界は非常によいと思います。
さて、先週は三度目の一桁台の視聴率だったようですが、今回も一桁台だったらまたまた叩かれるのでしょうね…。
先週はタイトルが悪かったのだと思いますが、今回は後白河さまと滋子のせいにされそうで… まあ、メイン回だったし当然といえば当然なのですが、いろいろコワイ人たちもいるので、あえて批評は見まい。
というわけで、取り急ぎの今回の感想。
まだ復唱できていないので、台詞や解釈など多々間違っているかもしれませぬがご容赦を。
(すでに大河の記事など見向かれてない気もしますが・泣)
いえ、私は己の信ずる道へ進みます。
残り十話、このぶんだとさらに駆け足状態とはなりましょうが、きっとこの先ますますおもしろくなる!
また復唱できたら補完しに参ります。