800枚のカルテ ~読み終えて~ | くも膜下出血~三途の川から戻ってきたよ~

くも膜下出血~三途の川から戻ってきたよ~

2018年7月4日(水)午後15:30分
会社で倒れ→くも膜下出血診断→レベル5→心肺停止からの
復活→会社復帰→現在

 

 

ようやく全て読み終えました。

もう、目がしょぼしょぼです。。

 

 

結果的には、いろんな事が分かったので読んでよかったです。

 

全く知らなかった事もいくつもありましたが

その中でも自分が衝撃だったのは「不穏行動」が多かった事でした。

 

ベット上ではありますが、かなり激しく暴れたりしたみたいです。。。

記憶には全くありません。

 

不穏行動に関しては家族にも報告されていませんでした。

 

特に術後1週間くらいまでは、何度も不穏行動を押える為に

ショットで鎮静剤を使用している事や、男性の看護師さんでも抑制が出来ずスタッフに協力依頼をかけている事なども記載されていました。

どんだけ暴れたんですかね。。。怖いですゲッソリ

 

また、その場での看護師さんからの説明は理解できている様子でしたが不明な行動がしばらく続いていたようです。

 

ここの部分を読んでいる時が精神的には1番キツかったです。

私の中での記憶がないので、本当にこれは自分の事なのか?

断片的に看護師さんと話した場面等は思い出せますが、危険行動と言われている部分については、どうしても思い出せません。

 

とりあえず、なんでもかんでも自分の身体についていた管を抜こうとしていたようでした。

 

勝手に柵を外して持ち切れず落下させ、看護師さんが慌てて部屋に入るとベッド脇で座っていて、どうしたのか聞くと

トイレに行きたかったと。

 

まだ脳ドレーンが抜けてない時だったので、

(そこは理解はしていたよう)

その場で動かずに座っていたみたいでした。

 

改めて、脳の病気って本当に怖いと思いました。

本人、全くわかってないですからね。

言われた事を守れない訳です。

でも、もちろんわざとではありません。

 

ナチュラルにわかってない。。。

何度も同じ事を言われても忘れてるんです。

 

だから、怒られてる印象しか残りません。

 

あと、私のブログを最初から読んでくださっている方はご存知だと思いますが勝手に牛タン弁当を頼んでしまった時の事もしっかりと書かれていました。

 

この牛タン弁当事件後、誤飲性肺炎になっていたみたいです。

カルテには38.5℃以上の発熱となってましたが、これも記憶には残っていません。。

 

そんな事あったんだ、、、最悪だな。私。。笑い泣き

 

別日のカルテには

 

●●医師:「UFOが食べたい。でも●●先生(脳外科部長)にダメだと言われた。

こんなに、頭痛いの我慢している。食べ物くらい楽しみがほしいとの訴え」

 

→文字にされると死ぬ程恥ずかしいです。。。きっちり銘柄まで記載されている。

 

●●医師→看護師:「病院食を完食できるなら、おやつ程度に量をへらして食べても良い」

→結局、UFOは夫が最後まで買ってくれなかったので食べませんでした。変わりにガリガリ君を買ってくれました。

 

看護師:「訪室すると、泣いている。将来に対しての不安を口にしているので、傾聴する時間を確保する必要がある」

→私の気持ちを吐き出す為だけに時間を確保してくれるなんて、、

申し訳ない、、

 

看護師:「不安が強いようで検査を拒否。旦那様から本人に説得するよう依頼するが(私)承諾せず」

 

→アンギオ検査の事です。同じ病室だった方からも説得されるという不思議な光景がありました。

 

PT:「高次機能障害:注意障害がみられる。本人(私)受け入れられない様子。本人の希望でリハビリスキップ」

 

→これはよく覚えます。

出来ていると思っているのに、出来ていないと言われ、何が出来ていないのか理解できず、ちょっと荒れ模様だった気がします。

 

どうでもよくなって、頭が痛いとか、適当な事を言ってちょっと、

ズル休み的な事をしたことがあるのは覚えています。

 

結果的にはリハビリ病院転院後、症状は改善方向に向かい、

退院する頃には復職可能となりました。

 

復職した直後は周りが言うには、しばらくの間はしゃべり方が今とは少し違ったみたいです

かなりスローペースで話していたようでした。

 

また、ある人からは「今までのミーコじゃなくなったような気がした」とも言われました。

 

もともと性格的にせっかちなところがあり、仕事に関してはスピードを重視するような部分を持ち合わせていましたが

良く言えば、かなり慎重。悪く言えば、判断が極めて遅い。

という感じになったみたいでした。

 

上記の事は上司も感じていたようですが、復職半年くらいはずっと我慢して様子を見てくれていた感じでした。

 

私の判断ペースが上がってこなければ、ポジションを変える事もやむなしと思っていたようです。

 

この話しは1年後に上司から聞かされました。

 

お陰様で今は以前のスピードと変わらない状態に戻っていると、

自分では思っています。

 

ただ、病院でも指摘されていた事で

「沢山さんの物の中から指定した物を時間内に見つける事が出来ない」という部分は今でも苦手かもしれません。

 

感覚的に形状が似ているものは全部同じに見えてしまって、

頭の中では「これ」というのは理解できているのですが

それを実際に見つけるまで時間がかかってしまいます。

 

これが顕著に出るのが特にスーパーに買い物にいった時と携帯のアプリを探している時かもしれません。

眺めている時間が長く、頭の中で「どれだ、、どれだ、、」とぐるぐる考えてしまいます。

考えいる時間が長くなると、今度は何を探していたのか分からなくなるという。。。

 

多少の時間を掛ければ解決するので、生活する上で今のところ致命的に困っている訳でもないので特に悩んだりはしていません。

 

今回、たまたま体験談を話すという機会があった為このようにカルテを読み返したわけですが自分の人生をもう一度考える良い時間になりました。

 

患者とはいえ全く他人の私一人の為に、自分の想像以上の多くの

先生方、看護師さん、PTさんが昼夜問わず膨大な時間を

費やして下さり

 

看護計画を立て、我儘を聞き、退院まで導いてもらった事を絶対に忘れちゃいけないと思いました。

 

さて、、、後はこれをどう体験談としてまとめるかなぁ、、、