振り返り、
私自身の内面が大きく成長し変化していった
きっかけは、「毒親」という存在からの脱却だと感じます。
親の事を「毒親」認定して非難して、
自分は被害者である、
非力な存在である、
としていた時には
確かに苦しいけれど
「毒親」を隠れ蓑にできていた。
何か人生でうまくいかない事が起きた時に
まっさきに「毒親」のせいにできたから。
当時の、渦中の私にこんな話をしたら
逆上されるかもしれない。
人によってはセンシティブかもしれない。
親のせい、とか
自分のせい、とか
そういう次元を超えて
私自身を生きるフェーズに移行して
初めて「自由」を感じた。
親を許そうとか
感謝しましょうとか
上っ面のことしようとして
余計に苦しくなったりするような
本末転倒もしなくていい。
今でもふとした瞬間に
過去の記憶から一瞬、嫌な気持ちになる事もある。
感じていい。嫌いでいい。
ただ、「親のせい」にして生きるのが
ある時、ムカつくと思った。
なんで私の人生が親次第なんだよ、
ふざけんな!
そこから抜けていった。
「親を許せたから自由になった」ではなく
親の影響下に自分の人生を置き続けること自体に
腹が立ったということ。
私はずっと思い込みの幻想の中にいて
その幻想の中で苦しみを感じていた。
擦りすぎた「悲劇の物語」に
自ら執着していたことに
気づく。
それらすべてが「幻」だった。
「わたし」を生きるのは怖い。
未知だから。
そこに立つことが怖くて
それなら慣れ親しんで
勝手知ったる地獄の中のほうがいい、
という無意識の矛盾。
「本当はどうしたい?」
その選択は自らの中にある。
過去は解釈でいくらでも変わる。
