カップルやファミリー客でにぎわう週末のダイニング。
午後8時半を過ぎて、サーバーたちは、どのテーブルにも一通りサーブし終わり、ほっと一息つく。
テーブルの客たちも、ほろ酔い加減で高笑いしたり、恋人どおし甘く語り合ったりと、食後のひとときを楽しむ。
突然、そんなのどかな空気をぶち壊す奇音が、ダイニングに響き渡った。
ゲホーッ!
ゲホゲホ、ゲホーッ!!
じいさん客が、咳き込みはじめた。
この先、食事中の方、ご注意ください。
(ときどき、この一文を記事に挿入することがあるが、そのたびに私は疑問だ。私が書いているのは主に、レストランという食事をする場所の話のはずだ。なのに、食事中の人に聞かせるにしのびない話って、どういうことなのか…。疑問だ…。)
ときどき、大きな咳やくしゃみでダイニングを一瞬静まり返させる客はいる。
でも、このじいさんがそれらの客と違うところは、その咳が、いつまでたっても止まらないところ。
それどころか咳は、ダイニングが静かになっていくのと反比例して、どんどん激しくなっていく。
グエッ、
ゲホーッッ!
ゲーーーーー!!
カーーーーッ、
ペッッ!!
ウエイトレスがあわてて持っていった紙ナプキンの上に、痰のようなよだれのようなものを、ダラダラと吐き出している。
とりあえず、怖いもの見たさでチラと見たその様子では、食べ物を喉に詰めたのではないらしい。
その証拠に、咳が少しおさまると、またワインを飲んだりスシを食べたりしている。
そしてまたしばらくすると、さっきと同じような咳をはじめる。
会計も終わって、おしゃべりに興じていたテーブルの客たちは、立ち上がって帰り始めた。
食事が終わったテーブルの客たちからは、勘定書きを請求される。
どのテーブルの客たちも、明らかにいやがって、早くこの場から立ち去りたいと思っている。
あるテーブルの客は、帰り際、私にこう言った。
救急車を呼んだ方がいいよ。(-"-;A
はい…。でも、お連れの奥様が、いつものことだから大丈夫だとおっしゃるので…。(;^_^A
その咳じいさんの奥さんのおばあちゃんは、まったく平然としていて、心配する私達を、大丈夫だから、と手で追い返していた。
いや、彼等のためでなくてね。あなたたち自身を守るために、ぜひ呼んだ方がいい。(-""-;)
そう言い残して、彼はそそくさと外へ出ていった。
たしかにそうかもしれない。
ここは訴訟大国アメリカ。
あのレストランの従業員は、主人が死にそうなのに、何も手助けしてくれなかった。
と、訴えられることもあるかもしれない。
でも、そうとばかりも言ってられない。
ここは、医療保険後進国アメリカ。
救急車はタダじゃない。乗れば最低でも700ドル。保険に入っていれば保険会社がカバーするが、最悪の場合、救急車を呼ぶ必要はなかった、といって、保険会社から支払いを拒否される場合だってある。
当人が、呼びたくない、と言えば、それに従わざるを得ない。
そんなことは、かの客だって百も承知のはず。
救急車を呼べ、と言ったのは、私達のためではなく、もっとゆっくりしていたかったのに、人騒がせで迷惑な客だ、という、腹立ちまぎれの、捨て台詞だったのかもしれない。
かわいそうだったのは、まだ食事中だった客たち。
じいさん客テーブルに近かった、あるテーブルの客たちは、何気ない顔をしつつも、テーブルにならべられた食べ物に一切手をつけなくなった。
別のテーブルの客たちは、自分の飲み物にナプキンや財布でフタをした。
もっとかわいそうだったのは、じいさんの連れのおばあちゃん。
おおげさに咳き込むじいさんと、他のテーブル客のつめたい視線の板ばさみになり、いたたまれなくなったようだ。
もう、帰りましょうよ。(;´Д`)ノ
じいさんの背中をさすりながら、説得する。
が、じいさん、うんと言わない。
しびれを切らしたおばあちゃんは、じいさんの許可なく、じいさんの食べ物を持ち帰り用の箱に詰めるよう、私に命じた。
私はじいさんの皿をキッチンに持ち帰り、食べ物を持ち帰り用の箱に移し、テーブルに運んだ。
ありがとう、と言うおばあちゃんの隣で、じいさん、いたく不満そう…。
そのとき、おばあちゃんがすかさず、私に、
お会計を。
と言った。
働くものも、客たちも、誰しもが、
やっと帰るか。(-。-;)
と、思ったはずだ。
スシバーではふつう、出来上がったダイニング客のスシは、チケットとともにネタケースの上に並べられていくが、
このとき、不穏な、そしてなんとなく呼吸しづらいダイニングの空気を気遣って、シェフの前のまな板の上に並べられて、テーブルにサーブするのを控えていた。
キッチンでも、料理をサーブできる状態にするための、ゴーサインを出すべきかどうか、タイミングを見計らっていた。
私はとりあえず、分かっているだけの情報をスシバーとキッチンとに伝えた。
今、お勘定出ます。多分、もうじき帰るはずです…。(;^_^A
じいさんの咳は相変わらず止まらない。
客たちも、何事もないような顔をしてはいるが、全神経はじいさんの咳に集中している。
おばあちゃんは支払いを済ませ、帰りましょうと、じいさんを促した。
が、じいさん、なかなか席を立とうとしない。
スシバーもキッチンも、まだかまだか、と待っている。
おばあちゃんは、何度かじいさんを説得し、最後には、懇願するような態度になった。
すると、咳が一瞬止んだ、じいさん。
何言ってるんだ。ワインがまだ残ってるんだよ!!ヾ(。`Д´。)ノ
と、言って、咳き込みながら、おばあちゃんのグラスに残っていたワインまでも、自分のグラスに移した。
なんて強情なんだ…。orz
しびれを切らしたおばあちゃん。
膝の上においたナプキンを、立ち上がりテーブルに叩き付けると、先に1人で出て行ってしまった。
おーい!((((((ノ゚⊿゚)ノ
じいさんを置いていかないで…。
それを見ていた、じいさん。
まったく仕方ない…。┐( ̄ヘ ̄)┌
とでもいうように、グラスに残ったワインを、カッとあおると、おばあちゃんの後を追って、店の外に出て行った。
自分は老いぼれじゃない、というプライドなのか、それとも、ただのケチな酒のみなのか知らないが、
意地を張るにもほどがある。(゚ー゚;
そして、
待ってました、とばかりに、次々と料理が運ばれ、ダイニングは何事もなかったかのように、いつもの姿に戻った。
それでも、なんとなく息苦しいような、呼吸しづらい空気だけが、いつまでも店のなかを満たしていたのだが…。