春の予感 | アメリカでしのぐウエイトレスのブログ

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バカヤロー!って叫びたいときだってあるんです…。

街が紅葉している。通りや立ち並ぶ家々の前庭は落ち葉だらけ。これは決して冬への支度ではない。春に向けての準備なのだ。春に新芽を出すために、仕方なく葉を落とす。それがこの街の落葉樹たちの真実だ。街のいたるところで見られる巨大な樫の木に至っては、もっとひどい。紅葉した木や、すっかり枯れ木になった木々のとなりで、まだ青々と葉を茂らせている樫の木は、これから1ヵ月後くらいに、いっせいに緑の葉を落としたかと思うと、次の瞬間、新緑の涼しげな木に生まれ変わっている。こっちの木は深緑、となりの木は新緑、なんて風景がこれから、あちこちで見られる。樫の木は、芽吹いてくる新芽に押されて、それまでの葉を落としているのではないかと思われるほど。この街へやってきて、季節を感じる余裕もなかった最初の数年は、これが春の始まりだと気づかないまま、いつのまにか夏を迎えていた。一昨年あたりから、長い夏の前の一瞬の春を感じるようになった。これは、私にとって決して歓迎すべきことではない。私は春が苦手だ。日本にいたころ、春になると体調を崩し、気分もすぐれなくなった。テレビのニュースが、春ですね、さあ外に出ましょう、って明るく伝えるころ、私の気分は暗く落ち込んで、冬にたくわえた体の脂肪を一気に落とした。そんな意味で、ここの春を初めて感じたのは一昨年。だいたい、暖かい日が続く間に、数日凍るように寒い日がある、というのを繰り返す冬。春の訪れがそれほどありがたいわけではない。そういえば、寒い日が来ないな、と思ったとき、それは多分、終わりに近づいた春だったのかもしれない。去年は、新緑の樫の木の下で、桜もモクレンもツツジもいっせいに花を咲かせる、怒涛のごとく一気に押し寄せた春に呆然とした。そして今年。ボーっとしていれば、気づかぬうちに通り過ぎてしまう短い春が訪れる予感を感じられるようにまでなった。風に落ち葉の舞う風景は、これから秋を迎えるような郷愁がある。にもかかわらず、季節は春へと向かっているのだ。そうやって考えると気分は落ち込むばかり。以前のように、じんましんなどでなければいいが。春を感じている時間が長くなるということは、食欲がない時期も長いということ。ま、ダイエットにはちょうどいい。