「待つ、というのは危険な行為だ。待ち続けているうちに、
誰を、何を、待っているのか、わからなくなってくる。」


「待つ、ということに吸い込まれ、呑み込まれ、噛み砕かれ、
私の身体は分断され、侵食され、消えてなくなっていこうとしている。
そう、私は待つという行為によって、殺されようとしているのだ。」


――――『好き、だからこそ』小手鞠るい




まさしく、そんな今。

頑なに譲らない彼と、譲歩に譲歩を重ねつつも結局離れられない私と。


「会えないのは淋しいけれど」
「会いたいと言ってくれて、会いにまで来てくれたのに」
「今なら優しい表情で迎え入れられると思う」


どれも、結局は上滑りだと思う。


だって、私は待っている。

肉声も聴かれない。その影貌すら、目にすることもできない。

ただ、眼前にあるのは文字の羅列。

淡々と述べられる、可も不可もない当たり障りのない文面。



過ごしてきた日々は、そんなものだろうかと問いたくなる。

だから、液晶の上に並ぶ黒い文字だけのやりとりだとしても、

「会いたい」と、

「話をしたい」と、

けじめをつけなければ前に進めないことをこんなにも伝えるのに



どうして、まだ私は待たなくてはならないのだろう。






送信すれば、返ってくるかもわからない返信をただ待つばかり。

電話番号もわからない。家にも不在。


そんなにも終わりにしたければ、節目が必要なことくらい、嫌というほどわかるはず。



「君の人生に不要な存在だから」

「もっと夢のある支えになれる人と幸せになってほしい」

だなんて、ただの戯言だ。



面と向かって行って見せてよ。

何もさせないこの状況で、「さようなら」と打てば一方的に終りにできるなんて、

その程度ならばいっそすべて消し去ってしまいたい。





こうまで思うのに、それでも「待つ」のは、なんの因果か。



帰巣本能が呼びよせるように、また同じ心情の在り処へと気づけば還っている。

そこがさも居心地のいい住み処のように。




もう、「待つ」だけに擦り減っていく日々から逃れたい。

だけれども、為す術がない。



私は、待つということに殺されようとしている。

そのことに、気づいてほしい。



あなたのその駆け引きか逃避かが、ひとりの人間を息の出来ないガラス瓶に閉じ込めている。

かたくかたく、蓋をして。

もがけばもがくほど、空気の無くなるその中で。

私は必死に模索している。



少しでも楽な瞬間を。少しでも正しい選択を。少しでも腑に落ちる結論を。