私はこの頃、罪悪感という胸の痛みを冷たく重い鉛の塊のように感じていました。
 
前夫と別れた後、彼が寂しさに苦しんでいたのは知っていましたが、私には何も、どうすることもできず、結果として彼が死に至ったことに関してその責任の一端が私にあるという罪悪感を感じていました。
 
3年が経ち、痛みが和らいでからも、胸にはいつも冷たく重いテニスボールほどの大きさの鉛の塊があるように感じ、それが完全になくなったと思えるまでには12年程かかったように思います。
 
 
 
失恋をした時にも似たような感覚を感じることがあります。
胸に感じるそれは冷たい痛み。
 
子供の頃に熱い紅茶を冷ますために浮かべた一片の氷を思い起こします。
 
恋という熱い想いを抱く胸に、ふいに落とされた冷たい氷。
凍りついたその小さな一片は周囲の熱さで溶け、周囲を冷ましてゆきます。
違和感として胸にあったその冷たさは次第にぬるく、そして熱さに混ざり、完全に溶け込むと同時に全体を、熱い想いを、冷ましてゆく…。
 
 
 
氷は溶けて全体に混ざるけれど、鉛の塊は溶けて体の一部となることはない…。
そこに長い間、存在し続けます。
 
それでも、次第に自分自身の体温で温められ、重さはあっても心の一部であるかのように、日常的には苦しさを感じなくなります。
 
時折、何かのきっかけであの時のショックがフラッシュバックすると、事故の後遺症のように痛みがよみがえり、ひとしきり泣くのです。
 
そのフラッシュバックの頻度は年々少なくなり、冷たさは薄らいでいき、重さだけが残ります。
 
 
 
私の場合、前夫と別れた後であったため、そこに情はあっても恋愛感情はなく、その程度は少しマシだったのかもしれません。
あるいは、そこにあったのが恋愛感情ではなく、情だったからひどく苦しかったのかもしれません。
苦しみは、どの経験がより辛い、などと程度が決められるものではないのだと思います。
苦しいものは苦しいのです。
 
しかしながら今思えば、その苦しみは、やがて癒しのプロセスを完了し重みがなくなるまで、様々なことを学ぶための引導であったのかもしれないという気もしています。