離婚しました
久しぶりのブログです。仕事が忙しく、Yくんとは順調で、Tさんとは会えず、Uさんには面白い変化があり、色々書きたいことがあったのですが、なんとなく時間が経っていました。そしてその間に、夫と離婚しました。ブログには何度も何度も、もう離婚する!みたいなことを書いた気がする。けど、その都度理由をつけては、ズルズル結婚生活を続けてきました。もちろん(?)ただ時間が無駄に過ぎたのでは無く、いろんな本を読んで、たくさん自己分析して、自分が本当はどうしたいのか、よくよく考えました。わたしはもう、夫を愛してない。男性としても、人としても。最低最悪のクズ野郎ではなく、評価できる部分はもちろんあるんだけど、だからといって、愛しているかと言われるとNO。愛は気持ちだから、条件をどれだけ並べて頭で納得しようとしても無理だったし、それって自分をいじめてることだと気がついた。更に衝撃的だったのは、結婚の最初から、夫のことをそれほど愛していなかったのかも?ということ。夫からも、愛されている実感を感じた記憶は、数えるほどだった。あれは何だったのか・・・?と、思うと、執着だった。夫への執着、妻という立場への執着。わたしを愛さない男への怒り、こんちくしょう!という気持ち。わたしは男に捨てられるような女じゃないはず、というプライド。離婚を失敗だと考えていたし、離婚する女は女性として、人として、劣る存在だと思ってた。わたしはそんな『母と同じ女』じゃない、と思いたかった。今になって、わたしは愛され方にこだわりすぎていて、夫の愛に気づけていなかったのかも?わたしって愛されていたのかも?と思うと、嬉しい気持ちでは無く、あ、そうだったのね。なーんだわたし、やっぱりいい女だったんだ。という納得感。イヤな女だと自分でも思うけど、そのくらい夫を愛していない。本当は、夫はわたしのことを大切に思っている。という前提に立って現実を見ると、見える景色がガラッと変わった。これまでは、愛されていないから◯◯(不満)なんだ、という思いがあって、愛されるようになったらその不満は解消すると思いこんでたんだよね。でも、愛されていても不満はある。彼が自然体でいると、わたしにとっては心地よくない。わたしの心地よさを優先すると、彼が窮屈に感じる。結婚当初にすり合わせておくべき課題に、今更向き合う事になった。ここでもたくさん調べて考えて、アサーティブなコミュニケーションや、話し合うための方法論を二人で学んだ。でも、やっぱり変わらない。これまで習慣になっているコミュニケーションを変えるのは、難しいとは思っていたけど、そうではなく、お互い、相手とわかり合いたい、相手を喜ばせたい、という気持ちが、もうなくなっていたんだと思う。そういう夫とのやり取りと平行して、わたしは他の人たちと会ってるわけで。。。Yくんが示してくれる愛情は、わたしにとってかけがえがない。Yくんももちろん完璧じゃないし、単なる恋する乙女期間なだけで、そのうち粗が見えてくるんだろうとは思う。でもYくんへの感情は、熱い恋では無く、静かな尊敬の部分が大きい。物事に対する考え方、姿勢、自分の言動に対する責任感、夢、理想、現実をサバイブする能力、そういう変わらない部分に心から共感している自分がいる。Yくんの愛は疑いようがない。でも、いずれは終わりが来る関係。Yくんの幸せを自分の幸せと同じように考えるからこそ、訪れる別れの時が来るという予感。Tさんの存在は、わたしにとって憧れ。Tさんのような体験をする人生だったら、どれほど満たされるだろう、と思う。わたしのしたいことを、すでになんでもしているTさん。わたしの欲しいものを、たくさん持ってるTさん。ある時、そのTさんに大切にされることで、承認欲求を満たそうとしている自分に気付いた。わたしはTさんに好かれたくて、猫かぶっちゃってるんだよね。なんだそれ、ダサ・・・Tさんから、与えてもらおうというセコい考えがわたしにはあったよね。ただ会って話してセックスして、それで良いじゃん。Yくんと同じように、ただそれだけで満たされるかどうか、試してみよう。そう思ってTさんに接することにした。スパダリでも、お付き合いしているセフレでも無く、友達。たまに会ってご飯行って、セックスもする友達Tさん。Uさんから、ある日突然衝撃的な連絡が来た。それは、Uさんの大好きなお酒と、セックスをセーブする、というもの。自身の病気か、家族の不幸か?と、めちゃくちゃ心配したけど、どうやらこの数年、女性とホテルに行きまくったせいで、お金が底をついたらしい。なんと・・・!心を入れ替えるわ。という決意の連絡をもらって、やっぱりUさんもすごい人だな、って思った。わたしはYさんに言った。お金は、これからいくらでも稼げるよ。Uさんも言った。何度でも、やり直せる。ピンチは誰でも経験するはず。理由や規模感は大小あれど、順風満帆なだけの人生なんてありえない。その時、どのように対処するか、それが人の器だと思う。じゃあ、わたしは?わたしはこれまで、何度も何度も人生の岐路に立ってきた。仕事面での選択は、いつも怖がりながらもチャレンジする方を選んできた。そして、ピンチを乗り越えて、自分なりに良くやった!と思える道を歩いてこれた。でも、夫との関係は、いつもいつも、変化が少ない方を選んできた。現状維持の為に自分の気持ちに向き合わず、感情を誤魔化して、我慢して、自分が変われば状況が変わるはず、と思って我慢を努力だと勘違いして進んできた。そういうの、もう、ダサいからやめよう。そう思った。夫と離婚したくない理由は、大きく2つだった。1つ目は、バツイチ=失敗という思い込み、2つ目は経済的な不安。ある日、仕事つながりの信頼できる友人たちとランチ会をしているとき、急に思い立って離婚したいと思ってる。と、話をしてみた。そしたら、同情や心配は特に無く、なるほど・・・良いのでは?という反応。なんなら、他にもわたしも離婚したいと思ってる!という人がいて、離婚談義に花を咲かせた。あれ?自分で思ってたよりも離婚ってダメージ少ない?離婚したことでわたしの人格を疑うような人とは、付き合わなきゃ良いのかも?と、思えた出来事。そのあと、経済的な不安を解消するために、どうしたら良いかを考えていたら、ふと名案を思いついた。離婚しても、しばらく一緒に住めば良くない?わたしは夫を愛してないけど、同じ空気を吸うのも嫌!みたいに嫌いというわけじゃないし、シェアハウスみたいな感じでしばらく一緒に住めばいいよね!とりあえず、夫にリクエストするだけしてみよう。と。善は急げ(?)で、早速夫に離婚したい。そしてしばらくはこの家に住みたい。何卒よろしくお願いします。と、伝えた。そんな虫の良い話がある?と、言われそうだけど、というか実際、普通じゃない。と言われたけど、普通かどうかなんて、どうでも良くない?わたしとあなたがOKなら、それで良いじゃん。これはわたしからのお願いです。と、ゴネたり拝み倒して、OKをもらいました。もちろん、その場でサクッと話がついたわけじゃなく、あれこれ条件のすり合わせをして、何週間かかけてようやく合意したわけだけど、思ってたよりもすんなり、わたしの希望通りになりました。もう離婚しよう。と、心を決めてからは、一切の迷いが無く、反対されそうな人には相談せず、背中を押してくれそうな人にだけ話をして、母にだけはギリギリ事後報告にならないタイミングで報告して、忙しい合間を縫って淡々と事を進めました。夫も、もうちょっとゴネるかな?と思っただけど、これまで夫も現状維持という楽な道を選び続けて来ただけで、積極的にわたしと結婚し続けるモチベーションはすでになかったのか、素直に応じてくれました。ありがとう!2023年の1月だか2月に、本音で生きると決意し、その年の10月にこのブログを書き始めました。本音で生きることにしたら、夫と離婚することになることは、実は想像できていました。予感というのかな。約3年経ってようやく、自分の本音と向き合って、人生の大きな決断をすることができました。この3年、たくさんの男性と出会い、セックスし、考え、書き、悩み、泣き、笑い、脱毛したりビラビラを切除したり、歯列矯正をしたり、心も体も、かなり変わりました。(顔のお直しはしておりません)それらの積み重ねで、自分を見つめ、本音と向き合い、自分にとっての幸せとは何か?を棚卸しし、自分で自分を幸せにするための行動を選択できるようになりました。Yくん、Uさん、Tさん、Kくん、Rさん、いろんな男性のエネルギーが比喩的な意味でも物理的な意味でも、わたしに入って来て、わたしを変えるパワーをくれたと感じています。知らない事は望むことができない。彼らはわたしが知らなかった素晴らしいことを、たくさん教えてくれました。こんなにも、幸せがあふれる世の中で、わたしは何をビビって縮こまっていたんだろう?と、勇気を持って一歩を踏み出すことができました。ということで、離婚してわたしが次にすること。それは婚活です。次回からは婚活ブログを書きたいと思います!