もうすぐ私は61歳



先日、テレビをつけていたら

60代70代のお年寄りの方々・・・

という言葉が聞こえてきた



お年寄り?



自覚がなかったから

とてもびっくりしたのだが、

そうなのか

もう60代はお年寄り世代なのか

と冷静に受け止めてみる



確かに

何をしても、何を食べても平気という

身体ではなくなってきているのかも知れない



塩分を控えて

野菜を多めに

やっぱり自炊が中心

30分程度の軽い運動はしなくては

などと気をつかってはいる



徹夜してでも頑張っていた仕事を

今は早朝にまわそうと計画をする



今までで余命宣告を2度されたことがある



幸い死なずに済んでいるわけだが

『死』は私にとって

遠くにあるものではなく

いつも身近に控えている気はする



少し前に考えていたことがある

どうすれば『死ぬこと』に

怖さや未練がなくなるのか?と



考えて考えて

ストンと腑に落ちたことがあった



それは

身のまわりを

徹底的に片付けてしまうことだと



死んだ時、

残していくものが多すぎると

不安になる



日記帳のたぐい、

写真のたぐいもだが、

不要品のたぐいもだ



なんでこんなもの、取っておいたの?

と思われたくない自分がいる(笑)

自分という人間の理想像が

私の中にはあるからだ



死んでからの自分を

理想の自分にしておきたい

おかしな話だが・・・(笑)



必要最小限のものだけを残して

あとはキチンと処分しておいたらどうだろう?

と想像すると、

なんだか気持ちが楽になった



古い下着や服

なんとなく捨てられずに置いてある食器

やろうと思いながら結局やらなかった

通信教育の材料

また読み返すかも

と残している本や雑誌

なんとなく集まってしまった

雑貨やいただきもの

空き箱もそうだな



死を目前に物を見ると

どれもこれも不要品に思えてくる



要するに断捨離

断捨離をしてしまえば

恐らくもう私は

そんなに死ぬことに恐れはないだろう



あの世は怖いものではない

それはなんとなく感じてわかっている



数年前に母親を看取り

その時はとてつもなく哀しかったのに

結局、人は普通に日常を生きている

そこに母がもういないだけで、

世の中は普通にまわっていることに

不思議な気がしたものだが

それも今では当たり前に受け入れている



それを実感してから

私には残していく家族への不安は

既になくなっている



夫はそのまま

自営業の仕事を続けるのだろうし、

夫にはインドア派の私とは違い

友人もたくさんいる

子供たちはもうそれぞれ家庭を築いている

私が死んだとて

時間はちゃんと時を刻むのだ



そう考えをまとめてみたら

今、すべきことが鮮明に見えてきた



つまり断捨離



かれこれ40年暮らしている

この我が家には

そう考えると

不要品がかなりあるようだ



そうそう

メルカリに出そうと思って

まとめて仕分けしていた箱さえも

捨ててしまった方が早いと思ってしまう

売り切るまでの時間がもどかしい

早くスッキリしたいものだ



仕事は仕事でしながらなので

一気に断捨離をするための時間は

どう考えても作れないわけだが

毎日、少しずつ少しずつ

より良い死を見据えて

片付けていこうと思っている



これは

若い人には難しいことかも知れない



還暦を過ぎた私だからこそ

やっと取り組める

いわゆる終活なのかも知れない




平松実実