今は6月3日土曜日の夕方。

母が(自分の意志で決めて)越してきたサービス付き高齢者向け住宅から歩いて1分のところにある公立の図書館の学習スペースでこれを打ち込んでいます。
時間制限のないフリーwi-fiがあるんだ〜(^^)v

この介護ブログ、始めてみたはいいけれど、日々の介護メモが我ながら細かすぎてなかなか追いつきません(笑)
なので細末なことは端折ることにしました^^;

で、続きです。
5月17日から1週間は⤵⤵⤵傾向な母でした。(はしょり過ぎやろww)
傍から観察しても
気分や体調の乱高下が激しく
私も付き合いきれんと思ったことが度々。
毎朝オハヨーの時の母の様子が
私のその日の精神状態に大きく影響するので
毎朝の私の不安な目覚めは
なかなかに不愉快なものでありました(笑)
母、
たっぷり寝たあとの朝の目覚めは
まぁまぁ元気なはずなのが普通ですが
夜中に何度も目覚めて(これは毎晩のこと。メニエールのお薬が利尿作用があるゆえ)
その際ネガティブ方向なことを考え始めたが最後、
朝までひきずって思いっきりどんより。
オハヨーの挨拶より先に「ダメみたい」ショボーン

それでもお薬のための朝ごはん、昼ごはんは一生懸命食べてエネルギーが注入されるからか少し機嫌が良くなります。

そんな時は出来るだけ他愛もない会話をするように心がけ、母のお喋りを引き出します。思い出話なんかが多いかな。あと、亡くなった父の話とか。

でも総じて必ず夕方には
母のバッテリーは完全に上がってしまいます。
まるでプツッと音がしたように
スイッチOFFになるのです。

大好きな大相撲中継があって幸い、
でもそれも横になってかろうじて
薄目で見ている感じでした。

晩ごはん時には息も絶え絶え
薬のために甘酒やヨーグルト+フルーツがせいぜい。 
それでも何も胃に入れないよりまし
「偉い偉い」と持ち上げて(笑)

母には、
毎日夕方になると電池切れするという自覚がないようです。
「それってボケが始まっているのねきっと」とまた肩を落とすので
「若い人だって病気のときは頭がボーッとするものです、ってお医者さんが言ってたしそれと同じ」と必死な私(笑)

実際、87歳の母の海馬が
今回の三重苦(胸椎圧迫骨折→メニエール病→ウツ再発)のせいで
どれほど縮んだか私にも測りかねるところ。
母は以前、白内障の手術に失敗して
目の調子も良くないので
前向きになれるインフラが整っていないと嘆くわけです。

本人じゃないので理解したくても理解できないのが現実。
だから「寄り添う」ことでしか
サポートができません。

そして私が達した境地というか考え方は
「生まれてから物心(モノゴコロ)つくまで物心(ブッシン)ともに支えて育てて貰ったんだから、その分、母の終末はガッツリ私が面倒見ようじゃないの」というものでした。

あ、これは、
私が独身のひとりっ子で
いまや母ひとり子ひとりだから
できることに違いありません。

自分も世間の人々がリタイアを迎える年齢になって
潔く一切の仕事を整理し過去を断捨離し
人間関係もシンプルに削ぎ落とし
いつか母の心に寄り添って見届ける日を迎えようという心構えがいつのまにか身についていたようです。

たまたま私は順応性が高く(笑)
どんな場所でも住めば都と楽しむ特技もあり
いちばんの趣味が料理なので
「食事で病をぶっ飛ばしてやる❢」くらいの勢いでキッチンに立っています。
(というほど凄い物は作りませんw)

ここのところの母は外出もままならないので
えーいそれなら外食くらいのお金を材料費に使ってしまえーというオメデタイ私の性格も幸いしています。

ま、良くも悪くも一喜一憂な毎日はまだ続きそうだし
関東の自宅(マンション)のことも気にはなりますが
朽ち落ちるわけじゃなし、
とにかく“こっちライフ”を軽やかに楽しもう、と“言い聞かせる”毎日なのでした。
はい、暗示にかかりやすいのも長所です照れ  クローバー