さて、何を書いていけばよいのやら・・・
なんだか前回のお話から、いろいろとあり過ぎて、
ただでさえまとまりのない頭の中が、ぐるんぐるうんです。。。
一大イベントであった『INICJACJE~あるポーランド人マイムからのインスパイア~』が、
無事に終わりました。
これは「日本アートマイム協会」の旗揚げですから、
私個人の問題ではなく、色々な人の想いも背負っていくわけで、
私の人生の中ではかつてない規模のイベントだったんですね。
全体としまして、心配していた集客も満員御礼とまではいかないまでも、
3回とも多くの方にお集まりいただけました。ありがとうございました。
今回ご来場は適わなかったものの応援して下さった方々、ありがとうございました。
映像のトラブルがありご迷惑をおかけした上、
その後の私のトークでそのことに触れることができず、今さらながら反省しております。
(トークは、一杯いっぱいで対応が出来なかった・・・情けない。)
終演後にマイムをされていた方から、
「なぜわざわさ”アート”ってつけたんですか?」
「私も先生から同じことを言われて習ってましたよ。」
確かに、私は特別新しいことを始めたわけではないのかもしれません。
といいますのは、私が大事にしていますのは、普遍的なことで、
そのある意味当たり前のことを、どう実現させていくか?なんですね。
パントマイムに対する多くの方のイメージは、
無言劇、ピエロ、トリッキーな動き、サイレントコメディ、といったところだと思うんです。
けれど、そうじゃないんですね。
それらは、マイムを使って出来ることの一例のようなもので、イコールではないんです。
当日の挨拶でも申し上げましたけれど、
”パントマイムを根源的な意味に立ち返って、その思想を発信していく”ことが、
「日本アートマイム協会」を立ち上げた大きな意味でもあるんですね。
その根源的な意味といいますのが、ステファン・ニジャウコフスキが映像の中でも語っていたように、
「マイムとは”いのち”である。」
「マイムとは”人間”である。」
ということなんです。
どうしても表面的なシンボルになるような動きや見た目に、目が向いてしまいますでしょ?
私もそうやってマイムを始めましたしね。
けれど、そうやってどんどん本来の根源的な意味は捨て去られ、
商業主義的に(ウケるかウケないか?つまり、お金になるかならないか?)使えるものだけ使って
、古くなれば捨てていく。
それではあまりに悲し過ぎます。。。
それにしましても、アートという言葉は難しいですね。
他の方からも危惧されました。
言葉が独り歩きしてしまうのではないか?と。
アートや舞台芸術が商業と結びついている社会ですし、他者に気持ちよく受け入れられることが大事なデザイン的なものとの違いも分りづらいですものね。
ただ、こういったマイムとかアートとかいったこととは別に、大事なことがありまして、
身体に心があるということに目を向ける、自分の中の自然を感じる、
といったことを具体的に体験する機会を作っていきたいという想いがあるんです。
こんな感想をいただきました。
「何か自然に触れた時に感じる心地よさのようでした。
圧倒的なものに魅せられているのに、圧倒されるのではなく、
むしろ、抱かれるような感覚でありました。」
いずれにしましても、外からのネガティブな見解は、なかなか届きません。
けれど、幸いなことに内部からいろいろと出てきているので、
これからしっかりと足元を見つめて進んで行こうと思います。
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