人語狼声 多くの諺 薬効 夢占 狼信仰・変身

                    狼と習俗・俗信(2),地界の狼(8)、

                           アラブ・イスラム世界の天地の狼(10)

キーワード:

狼、人間と話す・人語狼声   新情報もたらすもの  狼と語らった教友三人

人語を話す狼、狼語を解す人ウフバーンUhbaan ibn Aws

            誰何 人間か狼か?  「あなたは兄弟か、それとも狼か?」の文学事例

狼と諺  ガナムの捕食者としての害獣のイメージ、

習性を捕らえたもの、           狼に対して好意的な見方

狼の薬効、薬膳  胆汁の効用  性器の強精材、媚薬  頭・尿・糞の害獣対策効果

狼の夢占い   害獣は盗賊・盗み  時の節目(一年であり、四季であること)

狼と俗信・信仰   狼に関するまじない  ネズミ追い出すまじない

狼を退散させるためのまじない   狼を集めるためのまじない

天国に入れた狼

狼信仰・変身    狼信仰 サタン・ジンとの関係

 

      狼、人間と話す  人語狼声

前回のブログで、人と狼との関係として、有名な「ヨセフと狼」を採り上げて説明した。

ヨセフ殺しの濡れ衣をかぶせられた狼であったので、両者の間には直接接触が無く、全く関係のないことで 、お互いを知らず、会話があったわけではない。

アラブ・イスラム世界には、天界の牧場も設定されているように、狼が好むガナム(羊とヤギの混合群)を盛んに放牧されていた。それゆえガナムをめぐって飼育する人間と捕食する狼との対立関係にあるので、狼に関してはどちらかといえば悪い意味の重層的な、また良きにつけ悪しきしつけ、より近接した濃密な関係が行き渡っていた。そうした中にあって、何人か狼と交流し、意志や会話を通じ合った人物の逸話が生まれている。イスラムの最初期においても、預言者の教友として三人の人物の名前が知られている。

 

 

     狼と語らった教友三人

人語獣声のはなしとして、狼が人に話しかけ、語りあった預言者時代の人物(サハーバ)として3人が知られている。「狼と語らったもの」mutakallim al- dhi’bとか「狼の子ウフバーン」Uhbaan ibn Aws al-Aslamiiとして知られるウフバーン。放牧していたキリスト教徒であって、ムスリムに改宗して、武将として将軍アムルやウバイダと共に遠征して武勲を上げたラーフィウRaafi“ ibn “Umayrah(”Amiyrahとも)。それにサラマSalamah ibn al-Akwa”である。ムスリムに改宗した後、弓矢の名手として知られた。ヒジュラ後6年目にまだ異教徒であったガタファーン族などがメディナに襲撃をかけ、乳駱駝を含めたラクダたちを略奪して去ろうとしていた。山にいたサラマは大声で叫んで報せた。と同時に一人で勝ちで追いかけていき、矢を射かけてそれ以上の損害を防いだ。その後のファザーラ族への遠征の際、亡き族長の妻ウンム・キルファはムスリム軍と勇猛に戦い、戦死する。その娘は遠征に参加していたサラマの捕虜となり、許されてサラマの妻となった。サラマの叔父アーミルは詩人で、預言者も再三、遠征軍の折などに彼のインシャーウ(inshaa`詩吟)を所望し、聞くのを楽しみにしていた。叔父はハイバルの遠征で戦死した。                                                                                                                                 Jah.Ⅵ350、453、Ⅶ82、190、

 

        人語を話す狼、狼語を解す人ウフバーンUhbaan ibn Aws

上の三人衆の一人ウフバーンは諺になるほど「狼」との関係が知られていた。ウフバーンは本名をウフバーン・イブン・カアブUhbaan ibn Ka”b ibn Yaqzah というのであったが、綽名の方がもっとよく知られていた。ウフバーン・イブン・アウスUhbaan ibn Aws「狼の子ウフバーン」である。狼の別名の項のところで、第3番目にアウスAws を挙げて置いた。意味は「報酬、分け前、余禄を与えるもの」であり、これは狼が群れになって獲物を狩り、ボス狼がそれぞれに獲物の肉を割り当てる、こうした習性を捕らえた「狼」の名称である。

アウスAwsの語もよく知られ、人名にも、部族名にもなっている。有名なハジュラジュとアウス族Qabiilah Awsとは預言者ムハンマドがメッカを追われ、メディナに逃れて来たとき、それをサポートした二代有力部族であった。そしてアンサール(お助け人)と呼ばれて、イスラームの確立に尽くした。アンサールは名誉ある称号となり、その子孫も代々アンサールの称号を継承し、自分の名前の前にその敬称を付して名乗る。

             

人名にもアウスは多く、教友時代のイブン・アウスとは、このウフバーンUhbaan ibn Aws al-Aslamiiのことである。「狼の子ウフバーン」ことウフバーンは預言者時代の教友(Sahaabah)の一人であった。

「狼の子ウフバーン」とか「狼と語る者」Mukallim al- Dhi’bとか呼ばれるようになったのも、そのことの始めは、彼がガナム(羊とヤギの混合群)を放牧していた。するとそのガナムを狙って一頭の狼が襲おうとしていた。ウフバーンは大声を上げて、狼を追い払おうとした。ところが近づいた狼は襲うのをやめ、座って声をかけてきた、「アッラーが狩ってもよいとする我が糧をあなたは阻害するのか?」と。ウフバーンは「ああ驚いた!狼が言葉を話すなんて、聞いたことも見たことも無い!」と驚きの声を発sした、

すると、狼が言うには、「こんなことで驚いていてはいけない。もっと驚異は、あの向こうのナツメ林の中で(と片足を上げ、メディナの方角を指さした)新しい預言者が誕生したことだ。あの方は(メッカを追われ)今メィナデで布教活動を行っている。今後も続けられることであろう。人々をアッラーの信仰に入るよう説教し、ムスリムになるよう説いておられる。ところが多くの人々が聞く耳を持っていないのだ!」と。

この二重の驚異に讃嘆し、心を動かされたウフバーンは、家畜を急いで囲い場(zaawiyah)に追い込むと、さっそくメディナの預言者のものに馳せ参じた。そして預言者に狼の一件を話し、ムスリムに改宗した。そして預言者がウフバーンに語り掛けるには、「その話を人々にもっと語ってもらえまいか」と。    

こうしてウフバーンは最初期のムスリム、サハーバ(教友)となり、苦境時代のウンマ(イスラム共同体)と伝道活動を支えた。それからも狼の声を聴き分ける能力が備わったウフバーンは、名前も本名より「狼の息子ウフバーン」Uhbaan ibn Awsと呼びならわされていった。それだけではなく、綽名も「狼と語る者」Mukallim al- Dhi’bと呼ばれるようになった。さらには諺にもなって「彼はウフバーンの狼だ」Huwa ka-Dhi’b Uhbaanて知られる。意味は「新情報をもたらすもの、無知を悟らせて改めさせるもの、教導する者」の意味で用いられる。「ウフバーンの狼」Dhi’b Uhbaanと略されて「情報提供者」の意味でも言い回しと用いられている。

          Jah.Ⅰ298、Ⅲ513,Ⅳ80、Ⅶ50、213,217、Dam.Ⅰ637、AskariiⅠ410

 

 

         誰何 人間か狼か?

「あなたは、兄弟か、それとも狼か?」とは、夕紛れや夜間に他に誰もいない時、不意にそれと知れず近づいてきた時など、、に行われる問いかけである。わが国でもタソガレ(彼は誰?)時,カワタレ(彼は誰)時という用語が残っている。日の出前の、また日没後の、闇が支配して相手が紛れて誰と分からない時の表現である。人とも同定できない闇が広まり、覆われ、通行する相手の気配や足音、蹄音が聞こえてくる。闇の中なので、はっきりと人物とは明別できない。辺りに出没する狼かもしれないと、身構えながら警戒して、相手は人間であろうか自分自身に問いかける。「一体全体、かれはあなたの兄弟か、それとも狼か?」‘akhuu-ka ami dh-dhi’buと自問する。そして訝りながら、こちらから大声をかけて誰何する。「あなたは、兄弟か、それとも狼か?」 a-anta akhii am dhi’bu と。

彼は親切な味方なのか、それとも仇なす敵なのか、などの意味も表す常套句。暗闇での出会い、不意を突かれたり、意外な急な出会い、鉢合わせなどの折にも突然の正体不明の訪問者などに対して、「あなたは人間かそれともジンか?」と問いただすことも多い。ジンもまた狼同様、それほどに人間界と交雑している。

 

「かれはあなたの兄弟か、それとも狼か?」huwa ‘akhuu-ka ami dh-dhi’bu、この言い回しは、巷間に広がって用いられるようになり、やがて俚諺ともなった。

              『俚諺集』MaydaaniiⅠ50、“AskariiⅠ168にも記載されている。

 

文学作品にもよく登場する。その一例を長くはなるが、アラブ文化の一端を伝えているものであり、一事例として引いておこう:

 

たび重なる別離と難儀な旅ははるか遠き地へと私を追いやり、遂にはそこに入ったら熟練したガイドですら迷ってしまう地、経験豊かな勇者ですら震えてしまう地に立ち入ってしまった。そこでは彷徨(さまよ)う者、孤独者のみが見出すものを私も体験したし、かねて忌み嫌っていたものをいやと言うほど思い知らされた。(孤独者(wahiidとは荒野、人里離れてひとり住む修道者。修道院が無くても、こうして修業する敬虔な者もアラブ世界には古くから居た。後世、神秘主義と結びついてゆく)

 

それでも恐れおののく心を自ら勇気付ける一方、頑張りを強(し)いられている我が痩せラクダを急かせた。闇雲(やみくも)に突き進んだのだが、吉凶の判断で二矢占いを頼りに進んだに過ぎない。(痩せラクダ nidw pl.’andaa’ とは本来は立派な体格をしたラクダであるが、旅に酷使われたり、長旅を強いられて、痩せてしまったラクダのこと。これを動詞化した ’andaaとかtanaddaaは「旅などでラクダを疲れさせる、衰弱させる」の意味。二矢占いとは吉凶の判断で、この二矢占いを頼りに ‘al-daarib bi-adhayn:直訳は、「二本の占い矢で占う者」。プレ・イスラム期にあった矢(qadH)を使っての占い法。権威ある偶像神の前などで、普通は3本の矢で占う。一本目には,’amara-nii rabbiii(我が主は我に命じ給う)、二本目にはnahaa-nii rabbii(我が主は我に禁じ給う)が刻み込まれており、三本目にはghufl(無印)で何も記されておらず、延期・猶予か、再度引き直しをするかを選ぶ。「二本の占い矢」としているのは、3本目を省略しているか、-aynの押韻のために敢えてこうしたものか、恐らく後者である。わざわざ3本目を設けている所が興味を引かれる)

 

破滅に身を委ねても仕方ない進み方であった。それでも大股で、速歩でラクダを急かせてはいた。1マイルまた1マイルと乗り越えて行き、遂には太陽がほとんど沈まなくなってしまったり、光それ自体が隠れたりしてしまった(=日射病に掛かってしまった)。暗黒を闇とする(暗さが全く無い)ことに、ハムの一軍 (黒の世界)が皆殺しになったことに驚き恐れたものである。(大股で、速歩で bayna waxdin wa-dhamiilin:「大股で」と訳したwaxdは訳者の調べたラクダの歩態別名称では12段階ある中の、12段階目で、「能力のある限り全速力で走る」ことで、そのまま走らせていたら卒倒してしまうほどのものである。dhamiilの方は第5段階のもので「速歩、トロット」に当たる。状況から考えて,waxdを直訳すると、文意にそぐわない。恐らく著者は都会人なので、そこまでの知識は持ち合わせてはいなかったと推定する。ハムの一軍 jaysh Haam:ハムとはノアの3人の息子の一人で、南方世界、黒人種の祖先となったとされる人物。従って「ハムの一軍」とは行き交う人、物がすべて黒く見えてしまうこと。それが皆殺しになるわけであるから、全く反対にすべてが真っ白になることを意味する)

 

そのような状態にあったものだから衣の裾を広げて(旅装を解いて)、乗るラクダの手綱を引いて(留まる)べきか、それとも(これから訪れる)宵闇を頼りとして迷い出た方が良いのか判断が付きかねていた。こうして決心がつきかね、決意が揺れ動いている折しも、山の高みよりラクダらしきものが目に飛び込んできた。それが安らぎ与える旅人の乗用ラクダであってくれたらと願ったものである。それで用心はしながらもそちらに近づいていった。するとどうだろう、我が期待は巫者のようで)あった(=たまたま当たった)。そしてその乗用ラクダも見事な旅用ラクダであった。(乗用ラクダ qu”dah:ラクダ用の乗り鞍をqu”dahと言うが、同時にその乗り鞍が据えられたラクダをもqu”dahと言った。語頭母音を異ならせるqa”dahの方は「女性用鞍」即ち「乗り輿(こし)。乗り駕籠」の意味となる。旅用ラクダ “ayraanah:オスは”ayraan。屈強で溌剌としたラクダ。 ”ayr(野ロバ)または ”iyr(隊商、キャラバン)から由来する)

 

鎮座する御仁(ごじん)は外套に包まって、軽眠(まどろみ)のコホル粉が目の周りを塗っていた(=眠りに沈んでいた)。仕方なく彼の頭の許に座り(=平行して進み)、眠りから目覚めるまで同道した。

やがて彼が二つのランプを輝かせて(=目を見開いて)、不意の訪問者に驚いた時、恐怖に襲われた者がするようにギョッとして仰反(のけぞ)った。そして声を掛けてきた、「あなたは兄弟か、それとも狼(dhi‘bu)か?」。

私が、「いえいえ夜旅を行く者です、道に迷ってしまった者です。どうぞあなたの明かりを灯してください(=身元を明かして下さい)、そうすれば私も火打石を打ってあなたを(la-ka)明るく致しましょうから(=私も身元を明かしますから)」と答えた。

                             ハリ―リー作『マカーマート』第43話より」

上図二枚は『マカーマート』の13世紀の二つの写本の43話の挿画である。闇の中で遭遇した二人は「兄弟か狼か」の誰何の後、お互いに名乗り知人と分かる。そして朝を迎え仲良く砂漠の道中を行く一場を描いたもの。右図は、今は無い南イエメンのマフル首長国(1964-67)が発行した郵便切手のデザインに選ばれたもので、ある種貴重でもある。この由緒あり高雅なマフラ族の歴史については2020年7月23日付けブログ「マフラ族、マフラ・スルターン国(1)東アデン保護国・東アデン保護領(3)南イエメン共和革命以前」として、またマフル首長国に関しては2020年08月03日 付けブログ「マフラ族 マフラ首長国(2)東アデン保護国・東アデン保護領(4)南イエメン共和革命以前」に述べておいたので参照されたい。

 

 

          狼と諺

上にも一例を挙げたが、狼に関する諺はアラブ世界には多く在り、単に羅列してゆくのではまとまりがないので、内容別に挙げてゆこうと思う。

1 ほとんどがガナムの捕食者、およびそれに関連する観念として、悪者、狂暴、残忍のイメージである。

   狼ほどに邪悪な  akhbathu min dhi’b

   狼ほどに裏切る  akhwanu min dhi’b

   狼ほどに残忍な   azlamu min dhi’b

   狼ほどに恥晒(さら)しな    awqahu min dhi’b

   狼ほどに卑しい、下劣な    al’amu min dhi’b

   狼ほどに無謀な   ajsaru min dhi’b

   狼ほどに頭の軽い akhkhafu ra’san min dhi’b

   狼ほどに信用のおけない、 adhdaru min dhi’b

   狼ほどに狡猾な akhtalu min dhi’b

   狼ほどに義務不履行な   a”aqqu min dhi’b

   狼にガナム(羊・山羊の混合群れ)の面倒を頼んだ者は浅はか者 

              Man istar”aa al-dhi’ba al-ghanama fa-qad zalama

        この諺については、「狼が喰らう 好物ガナム(羊・ヤギ)  狼と食(1)」のブログ 

         で述べた。

 

狼の習性を捕らえたものとして:

   狼ほどに生き生きした、活発な    anshatu min dhi’b

   狼ほどに動き回る、さ迷う    ajwalu min dhi’b

   狼ほどに(うるさく)吠える    a”waa min dhi’b

   雌狼ほどに騒々しい、喧しい、喚きたてる  aslatu min silqah

   狼ほどに(獲物を)付けねらう、貪欲な   aksabu min dhi’b

   豹紋狼ほどに攻撃的になりなさい

      豹紋狼 dhi’b mutanammir;体表に豹のような紋を持つ狼。あるいはDab”(ハイエ 

       ナ)のことか。

   狼ほどに飢えた   ajwa”u min dhi’b  狼の病=空腹観、飢餓感

   彼のオオカミは満たされることはない」  dhi’bu-hu laa yashba”u

   狼はガゼル鹿を待ち伏せするもの  al-dhi’bu ya’duu ghazaalan

         不義を成す、仇(あだ)をなす、裏切り行為を行う。ガゼル鹿も羚羊類で述べた如

       く、狼の格好の捕食対象である。

 

狼に対して好意的な見方:

   彼はウフバーンの狼だ  Huwa ka-dhi’b Uhbaan

     上に解説した。狼は活発に動き回り、探りを入れ、情報を得る。そして時に人間と話す

      ことができて、情報提供者となり、善なるものとの扱いを受けている。

   狼ほどに勇敢な      ajra’u min dhi’b

   狼ほどに覚醒している     ayqazu min dhi’b 

        狼は片目ずつ眠り、もう片方の目は開いており、覚醒している。

   彼はあなたの兄弟か狼か?   A-huwa akhuuka ama dh-dhi’b  

          上で述べたように誰何の自問の言い回しとなっている。

                『俚諺集』Maydaanii、Askarii、Mustaqsaa、

 

 

                  狼と俗信

   薬効、薬膳、Khawaass 

上図は19世紀アラブを旅した一オリエンタリスト画家が市街のおそらくスークの薬屋、香料店などの並ぶ通りの一部を描いたものであろう。真ん中を女性などが通るなか、関連する業者が店を連ねるなか、はるばるラクダに乗ってやってきたベドウィンが長い皮袋に包んだ物品(おそらく生薬であろう、狼のそれも含まれているかもしれない)を店主に見せている。左隣の店の前では女性(恐らく巫女であろう)が患者と思しき数人を前に薬の効能を地面に図解して説明している。聞き入る数人の真剣さが態度に現れている。店の前には、薬草や香料がナツメヤシ織りの大籠にそれぞれ入れられ、また店の奥にはガラス瓶などが並び、数多の薬品や香料が配備されている。往時の薬屋、香料店の状況を彷彿とさせている。もっとも現在でも結構残っている地域も多いが。

下は医学・薬学・本草学を発展させたビールーニーal-Biiruunii(1050年頃没) の関連記事。

彼は天文学や占星術なども研鑽し、インドへ出かけ『インド誌』も残すほど、多方面に活躍した博物学者であった。左の上はビールーニーの肖像画の描かれた切手と下は彼に果たした薬学の影響及び関連図、中央図は薬学・生薬の実験。右図はビールーニーの薬学および薬草に関する研究書。

 

 

狼の薬効、薬膳にも様々なものがある。大きく部位別に述べてゆく。

 

狼の肉はイスラムの教えではハラーム(不可食)である。しかし毛皮や四肢、頭部など、狼の身体部位や内臓などの一部は、薬効、薬膳、おまじないなどに有効利用されている。

 

狼の右足の踵を槍の穂先に吊るしておけば、仇なす敵衆が彼を襲っても、その踵が槍に吊るされている限りは、彼は傷を負うことは無い。

鳩の塔・鳩小屋の前面に狼の頭を吊るしておけば、猫は近づかないし、鳩を害するものからも被害を受けることは無い。

狼の牙、毛皮、眼を身体に携帯すれば、敵対者にも打ち勝てようし、他人すべてに好かれるようになる。

狼の毛皮をシャー(shaa’ 羊とヤギを区別しない言い方、この場合単数)の背中に乗せると、シャーの乗せられて部分の毛皮が剥がれ、丸裸になる。

狼の毛皮の上に座る習慣を持つと、それは疝痛・腹痛(quwlinj)の悩みから解放される。

狼の毛皮で店を燻蒸するとシャー(羊、山羊)の皮でできた製品はすべて破れ、破壊されよう。楽器のタンバリンや太鼓類も同様である。女性がタンバリンに合わせて踊ろうにも、タンバリンが用いられない。

狼の毛皮で太鼓を作り、それを打ち鳴らすと、他の皮でできた皮楽器すべてが破れ避けてしまうことになろう。

狼の毛一本(watr)を、どんな弦楽器でもよい、山羊毛や羊毛の弦に引っかけると、弦を弾いたとき、どんな弦楽器であれ、弦が切れてその楽器のどの弦も音を出さなくなる。

狼の尾を牛の飼い葉桶(ma“raf、飼い葉袋とも)に吊るしておくと、狼を恐れる獣類はそれに近づかない。いくら空腹であっても、尾が掛けられている限りは。

狼の尾を女性の首に襟巻として巻きつけるとき、その女性の名前を唱えながら巻き付けると、言い寄る男性の誰も撥ね付け、近づかせない、巻かれている限りにおいては。

 

狼の右目を身につけていさえすれば、盗賊に会うことも、野獣に害されることも無い。

雌狼の目を肌身につけておけば、癲癇持ちも癲癇(sar”)になることは無い。

狼の両眼を成長盛りの子供に携帯させれば、癲癇(sar”)になることは無い。

上の水溶液に蜂蜜を入れて、温めてから服用させると胸膜炎(dhaat al-janb)患者に有効である。

狼の血:①傷の膿みを早まらせてくれる。②狼の血は、クルミ油と混ぜて温めて、耳穴に点滴すると聾・ツンボ(summ)が治る。

狼の脳:その脳(dimaagh)をヘンルーダ(sadhaab,芸香(うんこう))とオリーブ油とで混ぜ合わせ、水溶液として、それを温めて患部に塗ると、寒気から来る凍えや震えなどの障害を身体の外部ばかりではなく、内部からも除去してくれる。

 

狼の脂肪(shahm)は「キツネの病 Daa‘ al-Tha”lab(脱毛症)に効果あり。

狼の肝臓は人間の肝臓患者にも有効である。

狼の胆汁(maraarah)を蜂蜜と水でそれをペニス(dhakr)に塗ると、性交時に女性は歓喜し、その男性を大好きになる。

狼の胆汁を水に混ぜて飲むと、消化器を良くし便秘や利尿に効果ある。また局所に塗る付けると性欲増進材となり、すべての男性を喜ばせる。

狼の胆汁と、さらに鷲の胆汁、さらにジャスミン油を加えて混ぜ、それを局所に塗り付けると、これ以上にない無上の性欲を味わえよう。

狼の胆汁と薔薇油とを混ぜて、男性の両の眉に塗り付けると、女性はそれに惹きつけられる。特に年頃の女性の前を歩くと効果覿面である。

狼の胆汁とウコン(wars、Flemingia grahamiana)とを混ぜ合わせ、それを顔に貼るとバハク(bahaq、ふけ、らい病)が無くなる。

狼の胆汁と菫(banafsaj)油とを混ぜ合わせ、それを嗅がせると、慢性的片頭痛(al-shaqiiqah al-muzminah)に有効である。また生まれたばかりの乳児にこれを嗅がせると、一生涯、癲癇(sar”)になることは無い。

狼の胆汁の一部と蜂蜜、両方ともまだ火に通したことのないもの、とを混ぜて、目の周りにコホル(アイシャドー)のように塗り付けると、霞目や弱視に有効に働こう。

 

狼の睾丸を半分に割って、塩とザアタル(sa”tar、Zataria multiflora,タイム、コリアンダーの類)とを混ぜ合わせる。それにモローヘーヤ(jirjiir、rocket)の水溶液と混合させて、一ミスカール(5gほど)を背中・脇腹の痛み(khaadirah)の患者に服用させると、それによって痛みが取れる。

狼のペニス(qadiib)を焼き、その一部を食べると、性欲(baah)が増す。{上にも「狼の胆汁(maraarah)を蜂蜜と水でそれをペニス(dhakr)に塗ると、性交時に女性は歓喜し、その男性を大好きになる」とあった。強性剤、媚薬効果はあったのであろう。

 

狼の糞の中に見いだされる小骨を取り出し、それで虫歯を引っかけ抜けば、簡単に虫歯が取れ、治る。

狼の糞(jibl)で燻蒸すれば、燻蒸した場所にはネズミは寄ってこない。別説ではその糞にネズミが集まる。

 

ウンスル("unsul, "unsalとも、pl. "anaasil野生玉ねぎ、海葱)の葉は、狼の足に踏まれると瞬時に枯れてしまう。            

                                        Dam.Ⅰ636、 640-41

 

 

 

上左図は中国の漢方薬で製せられた媚薬、「狼1号 ロウイチゴウ」。最新の漢方精力増強薬、男性用勃起促進剤。性欲が長時間持続するのも特徴で、命名は まさに男を「 狼」と変えてしまう驚異の精力剤とのこと。上のアラブの薬効ぼ中にも「狼のペニス(qadiib)を焼き、その一部を食べると、性欲(baah)が増す。{上にも「狼の胆汁(maraarah)を蜂蜜と水でそれをペニス(dhakr)に塗ると、性交時に女性は歓喜し、その男性を大好きになる」とあった。強精材、媚薬効果はあったのであろう}

右図は害獣対策の散布剤。真偽の程は分からないが、狼の本物の尿、天然狼尿が入っており、家畜小屋や農地の周辺に撒き、イノシシや猿、野良犬、野良猫、鹿などの害獣を駆除や撃退を行う。今では化学的成分分析から人工的に狼の尿も作り出すことができよう。

 

 

      狼の夢占い     

狼の夢を見たならば、それは

①虚言、虚偽、悪だくみ、おのが身うちとの敵対、騙し合いを意味しよう。

②悪質で暴力的な盗みを意味しよう。

③上とは逆説的な逆夢となり、仕事の上手さを褒められたり、仕事への正当な報酬を得ることを意味しよう。

④一年であり、四季であることを意味する。{狼が獲物を探して歩き回るのは、時を追って回ることと関連付けられている。またイエメンの暦の中でも、前回観たように「狼の出現時期」が明記されており、時期・季節を表していよう}

 

狼の子(jarw)の夢を見たならば、それは盗み人の子を意味しよう。

同じく狼の子(jarw)の夢を見たならば、それは捨て子を拾い育てるが、結局その育てた子は盗み人となるか、一家に多大な不幸をもたらすことを意味しよう。

狼のミルクを夢で見た場合、それは恐怖、圧力、契約の失効に陥ることを意味する。

 

狼が家に侵入してきた夢を見たならば、それは窃盗とか盗賊が侵入することになり、最大限用心注意するよう、とのことを意味しよう。

狼が誰かの後を追跡している夢を見たのなら、吉の解釈では、彼の求めている幸せを得ることを、また凶の解釈では彼の殺傷、死傷、殉教となることを意味しよう。

狼が罪も犯していない人間を中傷・罵倒していた夢を見たならば、それは「ヨセフの狼」(『クルアーン』12章17節)を想起すればよいことを意味しよう。{前ブログで記したように、兄たちにヨセフを殺したと濡れ衣を着せられた狼}

狼と戦う夢を見た場合、それは敵対者と対決することを意味する。

狼が犬と合流して共同行動をとった夢を見たならば、それは騙し合い、探り合い、裏切り合いを行うことを意味しよう。

 

自分が狼に変身した夢を見た場合、それは盗賊になるか、個人的嗜好に走るか、であることを意味する。

狼が子羊などの家畜に変身した夢を見たならば、それは盗みはするが、後悔ばかりすることを意味しよう。あるいは悪事をなしていたが、後悔して以降善人に成ることを意味しよう。

Dam.Ⅰ642、Aklii478-79、“Awdullaah52、Qutb126、

 

 

       狼と俗信・信仰 

    狼に関するまじない

1 ネズミ追い出しまじない:

アラブ版ネズミを家から追い出す方法に狼の関与した俗信には複数ある。

先にも天敵のところでしるしたが、猫を飼うこと、あるいは無害な蛇を飼うことが有効手段である。そのほかにアラブの俗信として:

  1)犬や狼の糞で家の中を燻蒸する。

2)黒毛の騾馬の蹄(haafir baghl aswad)で同じく燻蒸する。

などがある。

 

2 狼を退散させるためのまじない

同じく銅で中に窪みを入れた狼に似せた小像を作る。その窪みの中に、狼の糞をできる限り埋め込む。それをどんな場所でもよい、狼の出そうな場所の地面に埋める。すると狼たちはその場所に寄り付かず、遠退いてゆく。        

 

3 狼を集めるためのまじない:

銅で狼に似せた小像を作る。そして胸から尻まだ横穴を通す。その横穴に狼のペニス

(qadiib dhi’b)を挿入する。そうした後、それを笛代わりにに吹く。吹いているうちにそ

の音を聞いた狼たちがその笛の周りに集まってくる。生殖の風か音フェロモンか?

狼の尿(buul)を、狼を集めたいところに振り撒けば、その匂いに誘われて狼が寄って来よう。

                                         Dam.Ⅰ641-42

 

        天国に入れた狼

教友イブン・アッバースの話によれば、預言者がミウラージュ(昇天)体験をしたあと、こんなことを語ってくれたことがあった。「天国に連れて行かれたとき、一頭の狼が目に入った。不思議に思ってその狼に尋ねた、「天国にそなたのような狼がいようとは⁈」。するとその狼は、「あたしは警官(shurtii)の息子を殺したものでしてね」と答えた。イブン・アッバースが付け加えるに、「この事例は、警官の息子を殺したから許されたのだ。もし警官自信を殺したならば、あそこにああして昇天することは無かったであろう」と。 

しかしこのハディースは具体的事情が明らかにされておらず、真正なハディースとは認められない、ともされている。                       Dam.Ⅰ637

 

 

        狼信仰・変身

「~~は~~の生まれ変わり」などとわが国でも言われることであるが、転化変生、変身の俗信の領域もまたアラブ世界では盛んに存在する。

 粉屋(tahhaanah)はよくネズミに変身maskhすると言われるし、ネズミの前身は粉屋であったともいわれている。

スハイル(カノーピス)は元税金徴収人(’”Ashshaar)であった、と言われる。{秋の到来を告げる星で、収穫の時期は同時に徴税人の査察もある時期となる}

蛇はよくラクダ(jamal)に変身することがある。

ラクダはサタンの両目("aynain)から創造されたもの。

サタンはよく蛇に変身し、人を悪へと囁いて(waswasa)誘惑する。禁断の木の実をイヴに

囁いて食べさせ、失楽園を起こさせたのも、蛇に化けたサタンの仕業である。

 

オマルは牝鶏を屠るように命じたが、アンサールの一人が進み出て、アッラーのために

タスビーフを唱えるものを殺すというのですか?と問いかけたので、ウマルはそれを屠るのを止めにした。{タスビーフ(tasbiih)とは  Subuhaana Llaah(神に讃えあれ!)と唱えることである、雄鶏のあの甲高い鳴き声の聞きなしをアラブはタスビーフと見做している。それを屠って食べることがここでは中断された。しかし、そうなれば鶏肉が食べられないことになるので、ここでは余ほど身近にいて周知のタスビーフを聞かせる雄鶏であったのであろう。このエピソードは変身とは直接関係ないが、一同の中には信者の誰かが変身した者との思い込みがあったことを推測させる。                            Jah.Ⅰ296―97

 

           狼に変身maskh

先に「誰何 人間か狼か?」の項で述べたように、紛れ時や不意を突かれて相手の正体が分からない時の誰何の言葉、「あなたは人間か狼か?」で明らかなように、不明ながら人間以外のそれらしき対象物として<狼>が選ばれている。霊的存在ならばジンが挙がる所であるし、「ジンはよく犬に変身する。ジンの最強のものは狼に変身する」との俗信もまたある。ジン及びサタンと狼との関連に関しては後述しよう。

霊的存在ではなく、有体の数ある動物の中で<狼>が選ばれているのには、やはり狼の存在の近さ、および狼が変身するものとの、アラブの民俗意識の反映が見られる。狼が人間に、人間が狼に変身する、と考えられていた。先に人間と対話したり、予知を教えたりする逸話もそうした俗信に立って受けいれられていたものであろう。

また夢見の中でも「狼に変身」する夢を見た場合の解釈が二例あった。

①自分が狼に変身した夢を見た場合、それは盗賊になるか、個人的嗜好に走るか、であることを意味する。

②狼が子羊などの家畜に変身した夢を見たならば、それは盗みはするが、後悔ばかりすることを意味しよう。あるいは悪事をなしていたが、後悔して以降善人に成ることを意味しよう。

狼の家畜を襲うイメージが盗みや盗賊といった害獣のイメージが先行射ているわけであるが、それほどに狼とは変身するものとの意識が深層にあったわけである。

 

    狼信仰 サタン・ジンとの関係

変身する狼、それと精霊信仰で一番近く結びつくのが、ジンの仲間の中でも精霊クトゥルブQutrubである。

精霊クトゥルブは、精霊ジンの一種であり、他のジンに比して小形であり、動作は素早い。主に夜間に出没し、闇に乗じて動き回り、瞬時に人間界に悪さ、悪戯を仕掛ける文字通り「通り魔」である。夜間に出没するので、狼にもよく変身する。またフクローなどにも変身する。さらに、半人半獣の姿で出現する場合もあれば、姿が見えない場合の方が多い。普段はそんなに悪さをしないが、不機嫌であったり、踏みつけたり、投げたものが当たったりして怒らせたりする場合は、悪さを仕掛け、大きな悪さが人を死に至らしめることもある。

 

また狼とサタンとの関連では:「ジンはよく犬に変身する。ジンの最強のものは狼に変身する」と先に述べたが、狼は犬よりもはるかに強大で獰猛である。諺にも「狼ほどに勇敢な」や「狼ほどに生き生きした、活発な」が知られているが、ジンの最強のものはサタンである。狼の中でもボス狼や最強の狼は変身すると霊的存在の中でもジンの棟梁と言われるサタンに変貌する。

 

また預言者時代にも、イマーム・アフマドとタバラーニーは預言者のハディース(言行録)を以下のように伝えている:

「サタンは人間にとって狼なのです。放牧されているガナム(羊とヤギの混成群)の最も遠い獲物を略奪してゆく狼と同じなのです。それゆえ一人での遠出は避けなさい。集団での行動をなるべくとるようになさい、集会場やモスクなどがそうであるように」との預言者の言を伝えている。

 

「狼」の偉大性を認め、神として信仰することも古代にはあった。

また狼信仰と結びつくのは、預言者時代のアンサール(お助け人)であったメディナのアウス族は部族名自体アウスAws=狼であり、古くトーテム時代、部族の祖と狼の関係、ないし信仰対象が「狼」であったことを物語っている。アウス族は南アラビア・イエメンから北上してヤスリブ(現メディナ)に最初期に移住した部族であった。その地方はトーテミズムが盛んであったから、部族も何らかの形で狼と関与していたものと思われる。

               Jah. Ⅰ213,215、297、448,624、Ⅱ80,149、Ⅶ187、253、Dam.Ⅰ639